と
ものすごくうるさくてありえないほど近い
を早稲田の松竹で観ました。
内容も素晴らしかったのですが、
映画に対する自分の姿勢が変わってきていて
そうするとなんとも面白いなぁと思えてきて
いい映画を見るってまぁ大切だよねって思えたので書いておきましょ。
いい映画は誰かと観るべきだぁぁ(笑)
仕事してるからか歳をとったせいか、こういう映画の全てのシーンに意味があって何の伏線、演出なんだろうと考えると映画のスタッフたちと向き合える気がして本当なんか楽しい。
…っていうことを分かち合いたい(笑)一緒に映画観てくれる人探そう…にゃふん。
映画も監督がいて、脚本、美術、役者、大道具、編集、照明、衣装・・・etcとそれぞれがそれぞれの役目をしながら、こうして観客から金をとってそれを給料として生きている、ただそれだけのこと。
なにも魔法があって、ポンとそのフィルムができたわけじゃない。
ただそれだけのことなんだと最近ようやくニュートラルに考えられてきた。
別になんも特別なことはないよ。
僕らと同じように、仕事として働いて、そういうふうなものを作って
売って、稼いでいる。それで生活をしている。
ただそれだけのこと。
だからこそすごく技術や技巧があることがようやくリアルに、わかって、実感できて感動する。
自分と何にもかわらない「仕事」をしていてそこにいろんな思惑とか技巧を凝らして
パッケージにして世に出す。
(それに金を払ってお金が回る、資本主義経済。
みんな似たようなゲームに参加してるようなものなんだなーと。
そういうシステムで生きているだけなんだよなーと実感。)
例えば、村上春樹の小説(に出てくる空気さなぎの小説の)表現を借りれば。無駄なシーンは一切なく、でも必要なシーンは全部ある。
一線を超えてくる映画ってなんでもそうだと思う。
不必要なことすると伝えたいものが薄れるものね。
観手だったらわからないけど作り手の立場になって考えたら当たり前にそのとおりだわ。
広告とかでも、作り手になることがあるからか、そーゆーことを意識してみるとなんか楽しいんだよね。
ここのシーンはどこに繋がるんだろう?とか
ここで監督はどういうことを求めているんだろう?とか
なんの表現としてこのシーンは入っているんだろう?とか
んで、そう疑問に思ったシーンがあとからしっかり結ばれていく時は、あーここかー!
ここを作りたいがための前フリね!って繋がって面白い。
思えば、言いたいことを言うための作品だものね。
そういう技巧、演出がすごい面白い。
こういう場所を選んだのはなんでかな?とか、なんでこの造作物おいたんだろう?とか
なんでエンドロールはこのデザインになったの?とか
つながりが見えるともっと面白い。作り手だったら絶対テキトーにしないもんね、そーいうとこ。
とかそういうところをムムってしながら見るとかなり面白くなりました。
今まではこの役者さんがねーとか、このストーリーがねーとか目に見えた部分、ただ感覚として受け入れられる部分しか評価の対象、面白さの基準とかでしかなかったのに、
あぁこの音楽で場面分けてる!とか、おーここで不安感を煽る音楽だねーとか、見えない部分も気づくようになるとこれ楽しいのです。
想像力の問題だけどさ。
PCに向かって作業して音楽つけている映画スタッフを想像したり、
カメラの回りにいるスタッフを想像してその楽しさは何倍にもなる。
そういう楽しみ方もアリだなぁ。
と思った今日の映画。
というのを分かち合いたいからここに書いておく(笑)