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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

いいこと「49」嫌なこと「51」の比率

研修も終わり。

京都に寄ってきた。

京都では1人だったから本当にいろいろ考える時間が自然とあって、考えが襲ってきても、それにゆっくりじっくり対処することができた。

ようやっと、自分を発見できた感じ。

うん、今まで、自分で自分が嫌になるだけだったのに、あーそういうことかぁ、という考えに出会えた京都でした。

そうしたら、鴨川でミスチル聞きながら散歩。

(自分で言うのもなんだけどね、音楽(没頭して)聴きながら微笑いながら散歩している時の自分の顔って舞台のときと同じくらいいい顔してると思うんだよね。でも1人での散歩のときだから絶対誰にも見られないときなんだけど。でもいい顔してるのよね。誰にも見られないんだけどね。(笑))

その時思ったのよ。

あぁ、今までは全部必要なことだったのか、って。

なんか繋がったのよ。

たとえ、たとえね?15ヶ月余悩んでいたって、この京都での3日間のときのように、こんな風に、うあって、全てがなんかわかるようになる気がするときってあるんだなぁと実感。

中途半端に捨ててこないで良かったと思った。

誰にも責任をぶつけないで、向き合ってきて良かったと思った。

おぉ、そういうことかと思えた。

例えば嫌なことが1年とちょっとずっと続いたって1年とちょっと+1日目には何か解決するときがくるかもしれない。

(それには環境的な刺激(今回で言えば京都)みたいなモノが必要になることもあるけど)

ということを信じられたのね。

境内が見えない階段を上がり続けて、終わりがないからやめちまう、あと1段いったら終わりだったのに。

そんなことを感じました。

そして僕は境内に入った気がする。

今はね。

そう、別に何かを断言なんてできない。

先のことはやっぱりわからない。

でもきっとわかるものもある。

それはそれでいいんだと思う。

自分を少しずつ知っていく。感謝。感謝。

複雑なものだけどね。

無理に押さえ込むものでもないし、無理に放つものでもない。

(それが僕なんでしょうけど)

ものにはそれがやってくるタイミングってものがあるのね。

(今までタイミングって言葉大嫌いだったけど(笑))

全部必要で大切なこと。

どうなっていようとも。

ここまで来るのすごーく大変なの。

でも来てみるとちょっと違った景色が見られるようになる。

それは実感智。

京都事

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