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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

深々。

3月20日。

こんなご時勢のときに、僕は卒業という節目を迎える。

いいか。僕は自分がどうにかできることしかどうにかすることができない。

小さな庶民が、世界のできごとをとりあげて議論しても、ここでは意味がない。。

正確には卒業したのかどうか自分だってよくわからない。

卒業式も中止になり、もう明後日からは働くのだから。

もう卒業したようなものであり、いつまでも卒業できない気もする。

きっとこういう気持ちも当事者である僕らでしかわからないようなことなのだと思う。

正直に誤解を恐れず言うならば、他の誰かに、卒業式がなくなって云々かんぬん言われても、この気持ちはわからないんだろうな、と思いながら話を聞いている。

だって君らの卒業式はあったし、あるでしょう?

なんなら、気持ちはわからない、とズバズバ言ってもらえたほうがこちらも変にわかって欲しいなんて思わないからその方がいいのかもしれない。

ただだからといって卒業式のある人たちをひがむわけでは全くない。

だから被災地の方々ももしかしたらそうなのかと思う。

関東だって少なからず影響を受けているし、余震も今でもくる。

それは関西の人々にはわからないことではないかな、と思う。

なんと言われようが、わからないと俺が思っている限りわからないんだと思う。

阪神大震災を経験している方々は想像がつくかもしれません)

それと同じように東北の方々の状況や東電、政府、消防のことなんて僕はわからない。

例えば当事者として100感じたことがあるとして、僕らがわかるのはどうにかこうにか通信手段を通じて伝わってくる10か20のことなんだと思う。

でも僕らはその10か20の情報で涙を流したりする。

それは同情でも分かり合おうとしているものではなく、ただただそういう事実なのだ。

それでも残りの80くらいのものはわからない。

そういった気持ちに対してただただ祈ることくらいしかできない。

簡単に言葉にすらできない。ならば簡単な言葉しか発せない。

卒業式はおいといて

それでも被災地のことに対して考えることは

言葉はもういいから。気にかけて、なにかを実行できるような人でありたい。

別にスーパーマンができることじゃなくていいから。

誰もができることを着々と。しっかりと。

そんな折、だからせめて自分の目の前のことをきちんと整理したいと思う

僕が何かを「伝えよう」とかっていう気はない。

僕以外にもいろんな経験をして素晴らしい文言をはける人は世の中にはたくさんいる。

だからその人たちに任せる。

このスピーチは僕が大学2年生のときに出会ったもの。

アップルの創始者のスティーブ・ジョブス

スタンフォード大学の卒業式でのスピーチ。

これから大学生になる人もこれからも大学生の人もそして僕のように社会に出る人も是非。

この授業も同時期くらいに観たかなぁ。

いつ何で観たか忘れてしまったけど。

「正しく生きていれば、人生の歯車が回りだす」

その言葉に今は支えられていたりする。

具体的にテクニカルな、ひとつだけ言っておきたいことは。

奨学金である。

ちゃんと学生が使えるものはつかっておいて欲しい。

どういう学生生活を送るかは自分次第だが、その点僕は大分大学に感謝している。

おかげで総長がくるような懇親会に出れたのもすごく良い思い出で、

あの頭の良さそうな人たちがいる感じ。すごく良い経験だったと思う。

ともかく、なにかをめんどくささに負けて、せずに過ごしてチャンスを素通りするのは馬鹿げていると思う。

あえて、強い口調で言う。

さて、それでは。

僕個人的な思い出を振り返っても意味がないので、思うところを綴る。

まずWIF。(Waseda International Festival)

何より世界を見ること、をここでどうにか果たせたと思う。

(正確にいうと世界を見ているというより、日本以外で育ってきた人たちを通じて世界を感じていたのだ)

始まりはここからだったと思っていい。言うならばこの経験があったから、海外短期留学もできたし、なんなら言葉が全くわからないのに最近出かけた南米だって、この土台があってこそだと思う。

そして、ここで自分の感覚を知ったことで就職も方向が見えてきたともいえる。

ここでできた友達と台湾や韓国(しかもその留学生と)にも行けたし、そこでそーらん節も踊ったり、なんなら125周年記念の世界学長会議でも踊る機会もいただけたのだ。

大学生活の土台はここにあったと思う。

こんな数行で終わるレベルではないけど、ここで出会えた人たちはかなり大きい。

本当に感覚だけれども、センスが違うのだ。

僕が勝手に「やりおる人たち」と呼んでいる人たちがいるのだけど、完全にその部類だった。

高校までで数人出会うか出会わないかくらいの人たちに大学ではたくさん会った気がする。

それだけの人が集まるのが早稲田大学なんだろう。

そういうことがすごく嬉しかった。

でも、ある先輩がこんなこと言うこともあった。

1年生のときや大学入ったときはキラキラしている人はたくさんいるのに4年生、社会人になるにつれて、その輝きがなくなっていく人がたくさんいる。と。

まぁ、それ自体自然の成り行きで本人も自覚していないだろうけど(僕もそうした風になっていっているのかもしれないけど)、成り行きでそのようにはなりたくないな。今がどうであるかわからないけど。

そして、僕は大学3年目までにやりたいことはやり尽くしたと思っている。

4年目はいつまでたってもボーナスとしか思えなかった。

でもだからこそ、少しでも心を振れるものに取り組めたんだと思う。(でもボーナスよ)

それは反対にとても大学生らしいことなのかもしれない。

今回南米行く際にお世話してくれた旅行会社の方(実は同い年だったのだが)にも卒業旅行は絶対に行ったほうがいい、かつそんな風に行っちゃう僕がうらやましいと言われた。

実際僕は行ってしまっているし、行かなかった場合の想像なんてできないのだけどその人がいう限り、後々になって後悔するのだろう。

何かを「した」ことには短期的に見て後悔することはあっても長期的に見た時に後悔することは少ない。

むしろ何かを「しなかった」ことが長期的に見て「してればよかった」と思っちゃうことが多い。

こんな人間というものを知っていたから、僕は死ぬときに少しでも後悔しないように何かを「する」という選択をし続けたように思う。(時にはそれで人に迷惑をかけることもたくさんあったと思う。)

言葉だってそう。すごいものには「すごい」といい。感謝をしたいときには「ありがとう」といい(「ありがとう」は意識的に割増で回数多いけど)、かわいい人には「かわいい」って言って、好きなものには「好き」と言う。そんな正直な選択を繰り返すと不思議と後悔もくそもない。

踏めるステップは全て踏んだ。

まだ若いけど、今ではそう思っている。

生きているといろんなものに気づくようになってくる。

正確に言うと理解ができるようになってくる。

だから大人になるとひとつのことに理解が深まるからひとつのことに時間がかかるようになって、時間が早く過ぎていくように感じるのだと箱根駅伝がやってるときに書いた。

別に、世界に、日常に、馴れてしまってワクワクが減るからじゃないと思う。

大人になるといろいろなことができるようになったり気付くようになったりするから。時間が足りないから早く感じるようになるのだ。

いろいろなことがわかるようになる。

僕は「波乗りジョニー」を聞きながらほぼ確信した。

この曲は中学1年くらい、いや、小学生くらいだったときに初めて聴いた曲。

メロディーが好きだし、CDも持ってるくらいなんだけど

この歌詞の意味なんてさっぱりだった。

でも、これを昨日数年ぶりに聞いたらちょっとわかるようになってるのね。

あぁ、こういうことだなぁ、ってわかるようになってるのよ。

それはもちろんCDの歌詞が変わったからなんかじゃなくて、僕がいろいろ経験して

(歌詞)

いつも肩寄せ合って

僕に触って

涙を拭いて もう一度

振り向きざまに「サヨナラ」は言わないで

やがて二人黙って

つれなくなって

心変わって 愛は何故?

海啼く闇の真ん中で

月はおぼろ 遥か遠く

秋が目醒めた

とかなんとかがわかるようになっちゃうのね。

これってすごいことでね。

その時わからなかったものが数年先であ、こういうことだったのかってわかるようになるって、すごいと思うんだよね。

数年前にはわからないことがだよ。

そして数年後にわかるさ、なんて考えてないことだよ。

んで、こういうことがあるって知っておいて欲しい。

ジョブスが言ってた様な、先を見て点を打つことはできないってまさしく。

後ろを振り返ったときにやっと意味がわかる、点がつながることがある。

本当は数ヶ月先だって、1日先だってわからないんだから。

その経験が必ず、繋がるときがやってくる。

それを信じるしかないのだ。

地震でも今回のことを子供に話せるなら、次の地震のときにより良い行動がとれるようになるならば

今回はその地震のための点。

そうしてそれがつながるのはもっと先の未来かもしれない。

でもその未来を想って今をどうしようなんてできない。

後から全てがつながるときがやってくる。

だから今は今やれることやりたいことをしっかりやらないとね。

それが点になっていくんだから。

誰かに振られても、嫌なことがあっても、自分のこと嫌いになっても、就職できなくても、何かに何年かかっても、それは点であり、後ろを振り返ったときつながるもので、その繋がり方は君にしか、僕にしかできない繋がり方なのだ。

だから踏めるステップを全部踏んで、なにも心配しないで。

正しく生きていれば人生の歯車は回りだす。

後から必ず繋がってすべてが理解できるときがやってくる。

波乗りジョニーがそうだったようにね。

後から思えば、なぁんだそんなこと。って思えるようになるのよ。

そして、「あれがあったから(今の私がある!)!」なんてポジティブに考えられるように人間ってできていると思う。

すべてがわかるようになるときがくるから。

そのときのために踏めるステップを踏んで、みんなが感心するくらいにうまく踊り続けないといけない。

つまり、一生懸命に生きるということだね。

それはジョブス、ランディ、が言っていること然り。

そして何かを達成するときも然り、数ヶ月で何かができなくても、1年、5年、10年、20年、50年、かかってやっとできるものもあるんだ。夢というのはそれぐらいのスパンがかかって、それぐらい大変なことでもあるんだと思う。数日が何?数週間が何?数ヶ月が何?

それぐらい長い目で見て実を結ぶのが夢なんだと、やっぱり早稲田で出会った人に気づかされました。

さ、

卒業式できないというのはあまり残念ではないけども

みんなと写真も撮れないし、晴れ着の姿で会えないし、全然知らない新総長の話も聞けないし、隈前で、銅像前で延々と話すこともできないし、みんなで昼間っからお酒も呑めない。あの雰囲気の中にも包まれることができない。それは涙が出るくらい残念かなぁ。

つまりそれが卒業式なんだろうけど。

「卒業式ができない」という8文字に集約されるのがどうも腑に落ちなかったので。

そんな簡単なものじゃない。

ちゃんと、拾ってあげたいなと思うのです。

それはニュースキャスターの自衛隊、消防隊、東電、そのほかの人たちの報道が「『厳しい環境』での『献身的な活動』」の一言で終わらすことが腑に落ちないのと同じような感情。

さて、未来が煌々と輝いてる君たち(並びにもちろん僕も)そして未来だけじゃなく今も煌々と輝いている。

何のために生きてるの?

バイトが忙しい?ゲームをしなきゃ?勉強しなきゃ?資格とらなきゃ?英語話せなくちゃ?仕事をしなくちゃ?デートをしなきゃ?帰らなくちゃ?起きなくちゃ?寝なくちゃ?時間が足りない?お金が足りない?今まで言ってきたこと?

(くそくらえ、です。)

Follow your Heart.

早稲田大学校歌、3番

集まり散じて人は変われど、仰ぐはおなじき理想の光。

いつまでも理想の光を仰ぎ続け、また集まれることをこころより願っております。

早稲田大学に集まれたことに誇りと心からの感謝を。

早稲田大学125周年目の入学生に祝福あれ。

卒業おめでとう。早稲田大学並びにすべての皆様へ。ありがとう。

それではもう一足先に社会に出て行きます。長かったけど卒業の言葉。深々。

2011年3月20日