handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

600th

600エントリーいってると思ったら丁度きりよくこれが600回目のblog投稿。

1年生の1月くらいから始めたから、約3年とちょっとで600回。

年間200本くらい。

さて、インドも南米も沖縄もニューヨークも終わりひと段落。

残り2週間を数えるだけの日々になってきそう。

と、同時にいろいろ身の回りの整理。

旅行の写真を注文したり

スーツを調えにいったり(これから)

髪を切ったり

髭を剃ったり

メガネを作りにいったり(値段の関係で断念しそう(笑))

e-learningを受けないとだったり

物理的な整理整頓だったり

精神的な整理整頓だったり

積読している本の消化だったり

社会人になる前に会いたい人に逢わないとだったり

とにかくまぁ身辺整理が必要なわけで。

うん、頭に浮かんだことを書いていこう。相変わらず。

最近悩むってことがなかなか多く

でも悩むって、それは僕史上初の出来事に立ち向かっているから起こることで

つまり、データが不足してるってことだよね

って考えてたら、ダンス・ダンス・ダンスの一文が浮かんできて

でーたフソクノタメ、カイトウフカノウ。トリケシきいヲオシテクダサイ。

って言ってくる。

ふむ。なら僕もみんなが感心するくらいに、うまくステップを踏んで踊り続けないといけないのかな。

って自分で思ってたり。

踊るとは、つまり、自分が求めてる「何か」をはっきりさせて、そこにしっかり向かうということかな。

主人公を見る限りそんな感じがするけどね。

ふむ。

そして、誰かに向かってこの大学生の集大成を書き綴ろう。

もう、まとめ。なのだ。

すべてを洗いざらい綺麗にして、あとを濁さず。

次の世界に入っていくのだ。

きっと孤独になることもあるはず。

でもさ、考えようによっては、本を読む機会だし、勉強する機会だし、何かを考えられる機会。

今は1人も悪くないと思えている。

もちろん、たまには人を頼りたくなるけども。

話をしたくなるけども。

あ、仕事のうちで僕が成したい事は

欲張らずに、一つで。

・人は何に惹かれるのか?を追求すること

それはフォルム(形?)かも知れないし、色かもしれないし、機能かもしれないし、ストーリーかもしれない、コミニュケーションかもしれない、はたまた思いつかない「何か」かもしれない。

でも、そういう惹かれるにきっと源泉があって、人って行動するよね。

その源泉を掘り当てれば、もちろん仕事でも成果を残せるだろうし、

はたまた自分のやりたい、楽しさの追求、日常に楽しさ、人それぞれが心から楽しいことやる、とかっていう世界につなげていけると思うんだよね。

そして、そこに人も気づかせる。

あ、こーいうことって楽しいのね、やっちゃおーかしらって気づかせる。

具体的目標にはなんていえばいいかな。

イイネ!の追求・・・つまり・・・どういう状態であればそれが成しえるかと考えると・・・僕が手がけたものをより多く目の触れる場所に置かれている!

ってことかな。

日本全国に自分の関わったモノを置く

首都圏に自分の関わったものをおく。

モノというのは、モノだけじゃなくてイベント事でもいい。

つまり、自分の手がけたもので日本中を、世界中を取り囲めばいいのね。

それができている状態=認められてる(みんながイイ!と思えている)ってことやもんね。

そんなことの積み重ねで核心に迫っていきたいな。

よしおっけ。具体的になった。

そして、みんなが知ってるような会社にしたり、人物になった時点で、ひと段落つける予定。

(ここまでいうのは傲慢かもしれぬ)

そこからは、またどうしようか考える。

より関わりたい方向に足を向ける。

大体そんな感じ。

ふむ、明るくなってきたでしょ。

ふむ。

正直に書いてみるけど、人間関係はわからないな。

長くいる・・・ふーむ、わからない。

いつも、この人とならずっとやっていけるって人、を選ぶとか言うけどさ

そんな人結局人生に2,3回の機会しかやってこない。でしょ。

(なぜ2,3回と言ったかはノルウェイの森の影響だけども)

その2,3回の機会を逃すと一生後悔することになるのよ。って。

本当に心の底から、大丈夫だな、うん。

なんて思える人なんて、そうそうそうそういないんじゃないのか、って思っちゃうんだけど。

うーん、積み重ねていくうちにそう思えるの?

(僕はそんな感じではない気がするけども、でもしかもそれってお互いに思えてることなの?)

よくわかんないやね。

それってあるとき急にわかるものなのかしら。

まだ僕にでーたがフソクシテイルカラ、なのか。

僕だけ想ってても仕方ないでしょ。

ならいっそのこと1人の方が楽だなとは思ってしまう。

それが臆病な言い訳ではなくて、

毎回毎回そんなこと思ってしまうのが本当にとてもやっかいな気がするのだ。

(あぁ、何かひどいこと書いている気がするな)

特に1人で布団に入って考えていると、とてもやっかい。

あ、でもこういうのを逃すと一生後悔するのかね。

2,3回のうち1回くらいは使っちゃったかね。

ふむ、こう考えていくともやもやするのだけど、それを解決もできないので反動で変な方向にいく。

まぁ、どーせいつかは死ぬから細かいこと考えなくていいかな、うん。とかね。

でも、決定的にダメとかイイって時は必ずあると思うんだよね。

そりゃもう感覚的に。

そうしたときには何も抗えないだろうから、それはそれでいいんだよね。うん。

だからきっと正しく生きていれば正しい歯車が回りだして気持ちよく生きれる日がくるさ。

ふむ。自分の声をしっかり聞こうさね。

もう、わかってるんでしょ御自分さん。でも意識にのぼらないだけ。

そのタイミングがどうとか考えない。

ほら、言ったでしょ。

正しく生きていれば正しい歯車が回るって。

すべてはうまくいくようにできてるのよ。うむ。

でもね、翻すようだけど、それも答えを聞いたらきっとすぐに解決する気もする。

大切なのは

、曖昧なものでも無二の親友になること

であり、どの方向に転んでも大丈夫っていうある種の覚悟だったり、はたまたそれを逃げというのかもわからないけど。

そういうこと。

でも逃げはしない。

人生に2,3回の機会でもしっかり向かってなくしたものなら後悔はしないでしょ。

つまりそれは(結果論的だけど)人生に2,3回の機会ではなかったのさって思えるじゃない。

「後悔さえしなければ。」

だから後悔だけはしないように生きたいね。

なんていう、雑記。

さーて、どんなこと書いていこうかな。