handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

南米ボリビア→ペルーの旅(番外2)

クスコからリマへ飛ぶ。

飛行機が今3時間ほど遅れている。

何時になるかは、よくわからない。

村上春樹ダンス・ダンス・ダンスも上巻の残り200ページを読み終えてしまった。

思えば村上春樹など僕は興味がそれほどなかったし、有名だから読んでおくかと思えど手はなかなか伸びなかった。

ノルウェイの森を映画で見てから、インドの旅で小説を読み今回でも村上春樹を読もうと思った。

前は手が伸びなかったのに、だ。

物事にはそれをうまく消化できるタイミングというものがあるのだろうか。

それともただ結果論的にそれがそのタイミングだったと自分を納得させるのだろうか。

でも少なくとも僕はノルウェイの森に後1年ほど早く出会いたかったなと思う。

そういった意味ではちょと遅いタイミングだ。

でも、読む機会ないなと思っている作品にふとしたきっかけで出会ったのも事実。

先のことなどわからないのだ。

でもそれは本であるからか。

僕がいくら手を伸ばそうとしなくても、そして好むと好まざるにかかわらず、村上春樹はずっと本屋の棚に並んでいたし、ノルウェイの森ダンス・ダンス・ダンスもずっとそこにあった。そしてようやっと出会った。

人間ではそうも簡単にはいかないものか。

運命的な出会いとか人とか思ったり確信しても、それが本当にそうなのかなんて結果論に過ぎないんだろうか。

そして

いつしか誰が誰も「結果的に」忘れてしまうんだろうか。

(そうじゃなきゃ生きていけないと思うのだけど、僕はそれが本当に嫌だったりする)

またそんな考えなんて、僕だけが持っているんだろうか。

つまり、僕だけが何かを考えていてもそれを相手も考えているなんてことは少ないんだろーか。

僕なりに人とのシンパシーはあるほうだと思うのだけど。

ともかくそれが成り立たなければ、なんの意味もなくただ僕の思い過ごし(正確に言えば、思い過ごしではなく、一方的な思い込み)に終わる。