本日、映画「インセプション」観て来ました。
その感想をば。
でも内容的なことには全然触れないので、どうぞ。
ただの感想だけです。
stompとかで映像編集に携わることはあって、やっぱり全く及ばないけど、そういう観点から物事を見るようにもなっているのね。
映画って今までほとんど興味はなくて(インセプションはその中でも観たいと思う映画だった)、あまり何かを思うことはないのだけど、
どこからCGなの?って思っちゃうようなCGの技術とか
このカット割、ワンカットのように見えるけどどうやって撮影してるんだろか?とか
渡辺謙さんがそうそうたる(もちろん謙さんもその1人)メンバーの中で、フィルムの表面(みんなから見えるところの)で主要な人物の1人をはっていると思うと、すごい人なんだなとか
監督この最後の演出やらしいな、とか
最後の最後はこういう意味だよね、とか
ほんと、一人ひとりがやったことを観ていくと、もう宝箱みたいないっぱい想いとか、工夫とか、アイデアとか、遊びとかが詰まった作品なんだなーと。
と、同時に今まであんまりそういう捉え方ができてなかったなぁと思う。
そういう星の下に生まれた人、そういう人が演技して、なんとなく映像とか(できあがったものしか観客は見れないわけで)なんかすごいなーって思うくらいなのね。
でも、最近は(もちろん全然技術とかわからないけど)腹からすごいなーって思える。その衣装ひとつとっても、場面に合うように選んでいるんだよな、とかどこに傷があったほうがリアルかなとかきっと考えている人がいるんだよなと思うと、人が創っているものには必ず意味があるはずなんだよなーって思うとすごく面白い。
というのも多分最近、編集だとかモノを創るだとかっていう作業をしてきているからだと思う。
多分ミュージシャンが1曲作るにしても、リズムとか歌詞の意味とかすごく一言一句、一音一章節、なにか意味が込められているはずなんだよなーと。
そう完成された、パッケージされたものを紐解いていくと、すごく面白いし、その人を近くに感じられるし、なんだか愛らしく思えてくる。
なにも変わらない同じ人間だなぁと。
(それを同じように考え付くかどうかは別としても)
そして、自分のことをいっても、まずここに気付くことが大事だよなと思う。
なんとなくすごい、で終わらせる、もしくはその1歩手前、すごいと思えない場所で止まってしまうのはもったいない。
すごいと思うからこそ、自分との距離(差)がわかる。
すごいと思うからこそ、自分はまだまだだなーと思える。
すごいと思うからこそ、相手の工夫とかアイデアがわかる。
固いこといえば(笑)、すごいから、自分にはできないから、感謝とか尊敬とか謙虚が生まれるんだと想う。
そう感じたら、別モノとして扱わずに、ちゃんと距離を測る。
だから本当に尊敬できる。
毎年200本安打を放つイチローはすごいか?
ぶっちゃけピンと来ません。第一、俺野球やってないしね。
でも
「僕は1日10分の素振りを365日続けた。」
と、イチローが言ったとする。
なんだか近くなってきた感じがする。
(もちろんそれだけじゃないけど、例えばの話)
僕はそれはできないな、と。
だからリアルさがわかる。なんとなく距離が測れる。
だから凄いなと思う。単純に200本安打がなんとなくすごいというレベルじゃなく。
距離が測れたら、同じ直線上、フィールドに立てたときに、本当にイチローのすごさってモノがもっともっとわかるんだろうな。
すごさを感じられるっていうのはその一歩だと思う。
世の中当たり前なんか何一つない。
当たり前のように思わせてしまう技術があるってことだと思う。
そしたら、人が優しい言葉かけてくれるときとか、メールくれたりとか
励ますとか、電話とか、手紙とか、贈り物とか、プレゼントとか、一緒に遊ぶとか、もちろん怒るとかも含め、そんなことに時間とかエネルギーを使ってもらえてることが、凄すぎてたまりません。
その人はそういう人だからって考えるのはもうやめました。
この人は楽しい人だから
この人は下品だから
この人は優しいから
違います。多分。いろんな考えの末にでた優しさだったり楽しさだったりするんだろうなと思うように変わってきました。
(むしろ、そういう人であった場合も、そういう人であることがやっぱりすごいなーと思う)
だから細かく細かく、感謝とか反応ってものを返せたらなぁと思う。
ほんと、感謝感謝、って感じです。
そう生きれると楽しくて仕方ありません、と思う。
んー、うまく言葉にできてないな(笑)
まぁ、また今度に。
って、全くインセプション関係なかったね(笑)ごめんちゃい!!