散歩をしてきた。
いつもは、イヤホンしてミスチルなんてを聴きながら悦に浸って歩くんだけど今日はそんな気分じゃなく
なんだか、助けを求めて外に出た。
考えた。なんどもなんども巡っては考えた。(と思う。)
太陽にありがとーうと呟いて。
時に人間は何かをわかったような気になる。
何かに不安で時に立ち止まる。
その時、何か答えを出したような気になって安心したような気になる。
時に、音楽だったり、小説だったりして我を忘れてわかった気になる。
逃げる。乗り越えたような気になる。
それもまた真実。今まで俺にそんなところがなかったかといえば嘘になる。
歌詞を借りて、わかった気になって、乗り越えた気でいた。
それらは一方で生きる勇気を与えてくれるのも事実。
今日は久しぶりに向き合った気がした。
誰かを頼りたいのはやまやまで、わかってほしいのもやまやまなんだが
それが根本的解決にならないのは心のどこかで気付いてる。
向き合ったからって根本的解決になるとも限らない。
思ったことは、何事も~~のような気になるってことだけだ。
不安も何も、抜け出そうとしてわかったような気になる。
でも、それはある日突然に、徐々に、その答えは崩れる。
またそこで悩む、不安になる。答えを探す。
安定できるところをさがす。それが一時しのぎだとしても。
それがまた覆される。その繰り返し。
自分はこうだって思う。
でもそうじゃない自分がいる。通用しなくなる。
考えてみりゃ当たり前だ、世界は変化しているんだから。
自分が変化しないのは有り得ない。
わかったわけじゃない。
わかったような気になっているだけなんだと思う。
わかったような気になることを常に並べていくんだ。
時に崩される、でもまた悩む。
それでいいんじゃないかと。
なにかと「そのまんま」なんだと思う。
イヤホンをはずしたらそのまんまが少し見えた気がした。
道端にあるちっちゃいススキみたいなのに手をやる。
触ってみる。
そのまんまなのだ。言葉では足らない。
たんぽぽに目をやる。
長年たんぽぽなんてじっと見ることなんてなかった。
子供の頃に触ってたくらいだ。
あぁ、こんな風にこいつは綿毛になるのね。と思う。
多分、子供の頃にみたたんぽぽと変わるところはないのだけど。
見方が変わっていることを実感する。
おそらく、子供の頃にたんぽぽじっと見ることはあったけど
あるときもう別の所に興味がいってしまって、たんぽぽを見ることはしなくなる。
イメージの中だけで「たんぽぽ」ができあがる。
そうするともうちゃんと観なくなる。
「たんぽぽ」がそこに存在しているのだが、見ているのは自分のイメージのたんぽぽになってしまっている。
もちろん、ずっとたんぽぽを見続けることなんてできない。
他にも見たいものはたくさんあるし、やりたいこともいっぱいある。
でも今日みたいに改めてふとたんぽぽを見ると、頭のイメージのたんぽぽではなく、たんぽぽそのままのたんぽぽに触れることができる。
子供の頃と一緒のたんぽぽに違う感情が芽生える。
多分変化していたのは僕のほうだ。そのまんまってなんとなく感じることができた。
そんな螺旋階段を登っているんだと思う。
なんにも変化していないようでぐるぐる回って同じところの足踏みに見えるけど、ふと同じようにたんぽぽに目をやると、ちょっと違う見え方をしている。
同じように見えるけど、ちょっとずつ変化している。
不安も一緒だと思う。毎回毎回悩むけど、ちょっとずつ変化する。
自分だめだなー、自分すげー、の繰り返しかもしれないけど、ちょっとずつ変化している。
毎回毎回わかったような気になる繰り返しかもしれないけど。
その繰り返しが螺旋階段のstepなんだろう。
だから、わかったような気になることは否定しない。
stepなのだ。
ただ決めつけはしない。と思う。
常に~~のような気になっていると思うだけだ。
今も~~のような気になっているだけとわかった気になっているだけだ。
正しいことも何一つないから。
毎回毎回わかったような気になっていくのだ。
そしてまたイメージではない「たんぽぽ」に出会う。
そのまんまの「たんぽぽ」に出会う。
そうしたら、今度はススキを見る、桜を見る、雑草を見る、
オオイヌノフグリを見る、ワンちゃんを見る、子供を見る、おにいさんを見る、おねえさんを見る・・・
そうして戻ってきたらまた「たんぽぽ」を見る機会に出会う。
また「たんぽぽ」のイメージが崩され、そのまんまのたんぽぽに出会う。
それは最初観たときと自分の位置が違うから。
螺旋階段のようだけどちゃんと登ってきた証拠でしょ。
なにを言いたいのか伝わらないかもしれないけど。
それがこの10年だったり、15年だったりする。
1周回ってきて、やっぱり違うところにいる自分に嬉しくなったのかねぇ。よくわかんないけど。
感じたのは、~~な気になるということの繰り返しなんだなってこと。
そんなことを思いながら、歩いてたら
おばあちゃんと子供と犬が歩いてた。
犬に詳しくないから犬種がわからないけど(パピヨン的な?)
そいつと妙に目が合って・・・
あ、何かこいつと分かり合えそうと思ったのが第一印象で。
その2人と1匹を通り過ぎていったら
その犬がついてきた。
おぉと思ってなでてやった。
おばあちゃん曰く「その子、なでられるのが嫌いで噛まれるよー」
とのことだったけど、噛まれはしなかった。
(グルグル言ってけど(笑))
「あら、大丈夫なのかしらねー、私は何度噛まれたか」
って言ってたけど。
ほほーぅ、僕の心中はそんな考え事をしてなんだか穏やかなものになっていたから、犬にはなんかわかるんだなーと勝手に思った。
ふふーん。
というささやかな自慢。(?)
うむうん、そんな会話もできた、水の流れる音も聞こえた、たんぽぽにも目がいった、ススキも触れた。
イヤホンをはずしてたってのも大きいと思う。
いつも音楽に逃げてばっかりだったんだなぁとちょっと思った。
でも、帰りの際はWorld's End (Live)でしっかり自己表現。
めっちゃめちゃつらい最中、乗り越えた、ときの笑顔こそ、輝いているものはない。
泣きながら、歯を食いしばって笑うぜよ。