まず、謝ります。汚い表現してしまって申し訳ない。
そして、小学生がするような議論であります。申し訳ない。
しかし
これって結構重要でありません?
ちなみに、僕はカレー味の方です。
まず、これってカレーという料理の本質はどこにあるのかというのが問題になると思うんです。
僕の考えは、「味」です。
たとえ、実際になんであろうがカレー味をしている物体である限りそれはカレーであると考えるのです。
第一それ以外に見分ける方法がない。
プリンの味は食べてみないとわからない。
The proof of the pudding is in the eating.
というわけですね。
それにね。
食卓に出ているカレーが「ウンコですよ」って言われても誰も信じないじゃないですか。(この問題において)本来なにであるかにこだわる必要はどこにあるのでしょう。
んで、言いたいこと2つ
ちょっと思うのが、人の心理もこれを表している気がして・・・
カレーを選ぶほうは、物事はどうあるべき、とか「べき論」にこだわりそうな気配。人の目を気にするともいえるのかな。
簡単に言えばカレー味は、その逆。実際こうだからこうって考えるタイプな気配。
(これ大分自分に有利な解釈な気がするな・・・(笑))
んでもうひとつは、(カレー味を選んだものとして)
結局、正しいことはそこまで重要ではないという事。(限られた範囲ではあるが)
例えば、友達と喋っているときで友達同士がなんか(出てくる人、モノの名前とか意味とか)間違っていても、通じている限りはいちいち訂正しなくても話は成り立つ。(俺が怠惰なだけか?)
=ここで重要なことは正しいことではなく、話が滞りなく進むということ=正しさ至上である必要はない。
ということ。
カレー味の意見の具体例といったとこでしょうかね。
っていうのが俺の意見です。
こんなことをまじめに考える。
なんだこの記事。(笑)