handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

picture in Europe

P1000848.JPG思いを、感動を形に残すものといえば写真だ。

僕らはヨーロッパにデジカメを持っていった。

ただ意味が逆転しかけている怖さをしった。

ただ写真を撮るだけで満足してしまうということだ。

僕らの五感をうまく使えていない。

写真さえとれば行った気になる。

面白い写真を撮りたがる。

旅行中に写真観賞してしまう。

そんなことじゃあいけないと思った。

写真はあくまでも、ツールであり、手段であり、目的ではないのだ。

僕の目で感じて、手で触って、耳で聴いて、舌で味わうのだ。

あまりに荘厳たるところ、ダッハウ収容所なんかでは、写真はとらなかった。

これを写真にするとそれだけで終わりそうだからだ。

気持ちを大事にしようと、僕は写真よりメモをとった。

この時代の人たちがどんなことを考え、どんなことを正当化したが詳しくはわからない。その時代に生きていないから。

でも、何が悪くて何が良いのか自分の中に確固たるものを持ち続ける信念はいつの時代も必要なものだ。

過去を見て学ぶことはできる。ただそれだけにとらわれていてもいけない。僕とこの世界は同い年。僕の世界は今俺が生まれた瞬間にできあがった。なら、必要なことは、僕が考えることで、先の時代の人がやったことがどうのって僕に言っても世界はどうにも動かない。

悲しみだけ背負っても僕は何もできない。

極論を言えば、知ることは重要だ。でもそこに感情はいらない。

新しい命が芽吹いたら、今その世界が始まる。

過去から学ぶことは重要。だけども過去を引きずるのとはわけが違う。

時代は変わりゆく、もちろん新しい命、ずっとある命さまざまだ。

今のあなた。本当にして良いこと悪いことを考えて前向きなベクトルを放ってください。

戦争なんて自分が正しいと思っているやつらばっかり、なんて言うけど。

正しいのと善悪はちがうよな。

はっきり自分をもて。そうじゃなきゃ、きっとこういう世界にまた飲み込まれちゃうかもしれない。

うーん

平和主義の理想主義。

どこまでも追い求めればいいじゃんか。