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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

メモ

解決可能に思えるちょっとの課題を(できれば人と)解決すること(キャリア的に言えばその解決方法が広告的手段、見方を変えること、考えが変わること、気づくこと、知ること、によってというところを魅力に感じている。あ、広告手段的なよさこいとかできないかな(独り言))。単純に遠くに行くこと(できれば人と)。それが私の1年の数え方だと思う。もちろん大切な人ができたら優先順位は変わるかもしれない。その人と過ごすことが無上の喜びになるかもしれない。(それはそれでいいでしょ笑。)

 半年前くらいに書いたもの。

 

解決可能に思えるちょっとの課題を(できれば人と)解決すること。

単純に遠くに行くこと(できれば人と)。

大切な人ができたら優先順位は変わるかもしれない。

 

これだけ。

 

12月から働き始めるまでの3ヶ月、いろんなことを考えてちょっとずつ動いて確かに記憶があって、カフェで考え事してるときは幸せを感じていたのだけれど

 

3月から働き始め、追われることはあれど何をやったのか記憶があまりない。プレッシャーとか朝起きなきゃいけないとか、満員電車とかそういう負の記憶はある・・・。

私は1年、すくなくともこの半年、数えられているのだろうか。

 

プライベートで数えようとすれば

9月ににいがたに行くつもりだけど、それで数えられるんだろうか。

 

 

今で言えば、確かに広告的手法に近しいところだけれど、ちょっとの課題ではない。大きな課題だ笑。名前も知られているto C のWEBコミュニケーションなんて影響力が大きすぎてちょっと扱いづらいというところがある。どうしたって事故る。何度確認しても事故るもんは事故る。事故ってもそれが成功したときの、喜びとくらべれば・・・という人はいるかも知れないが、だったら最初からそんな労力使いたくなく、そういう労力はプライベートで十分だと感じる。

 

それが上か下かという問題ではなく、例えば下町会社のコミュニケーションなら自分の扱え得るサイズとしてそれくらいがいいかなぁと思う。ちこちこ、感触を確かめながら。

 

転職活動のときも、数字を追うことには適していなく、自分で手触りを確かめながら作っていく仕事の方がいいと面接先の会社に言われた。まぁ確かにそうだと思う笑。

ゆっくりじっくり派・数字目標をもっていくことになじまなそう。

自分で考えながら手触り感のあるものを作っていくという仕事がマッチしていそう

→自分で考えながら手触り感のあるものを作っていくという仕事ってなんじゃろう笑

環境のことでもあるんだろう。

 

それを思うと規模とか環境とか現在、合ってないと思う。それはスピード感でもあるだろう。こういうところで生きたいわけじゃないんだよなぁ。

受注したら喜ぶ人いるけど、受注してもあんまり嬉しい気持ちになったことないんだよなぁ。役に立ったかどうかとか、自分のした行動がまるでそれがそうであるように機能したときの方が嬉しい。

 

道路で邪魔になっていたものを誰もみてないとき、横に避けておいて、みんなが当たり前のように通ってる、ような仕事がいいんだよなーと思う。例えがわかりづらくてすまぬ。

 

 それが最終的にどうなりたいかというと謎である。

そうなってればいいのだから。そういう風に過ごせればいいのだから。

何かのゴールとして達成したいものがあるわけではないような・・・。

 

それってどういう仕事かしら?

というかそれって”知らせる”と対極じゃないかしら?笑

それがそうであるかのようにあって欲しい、知られるくらいの価値であることが重要であると考えている。だから知らしめることにおいてそこまで価値を感じていない。

 

たとえばそう思ったきっかけとして、雑誌で歯医者を遊園地にしたら子供も怖がらなくなった。ということがあったのだけど、その課題の解決の仕方が鮮やかというかクリエイティブで好きなのであって、それを知らしめたいとか、それでお客さんを増やしたいとか(確かに増やす目的なんだけど)、そういうことじゃないと思うのだ。

 

それに向き合った人がそれに対して、居心地の良さやなにか良い影響があったらいいなということだけなんだよなぁ・・・。それを知らせるのはまた別の話。

 

ちこちこ細やかに整備していきたい的な・・・。

 

いちいちいらんこと考えてしまうからそういう自分が生きやすいところに配置してあげないと。