handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

夢は叶えることが全てではないかもしれない

‪自分も足りない部分は多々あるが、他人のここ足りてないよな…て部分は突っ込むべきかどうか難しい。業務やプロジェクトなら相手のためと思って言えることもあるけれど、夢とか趣味とかだとさらに(言いにくい。)

 

もはや夢は叶えるために存在するものではないのかもしれないと思った。

 

持ってるだけで、描いているだけで、当人が幸せそうだから。

 

それが本当にできるか、どうか、よりも描いて、僕にはこんな夢がある、なんて思ってる方がよほど彼らにとっては幸せなことなのかもしれないと思った。

 

なんていうか、その足りてなさによっていろんな機会損失してるよなーと思うんだけど

それに結構無頓着で、(そもそも気づいてないから無頓着なんだろうけど)

 

その無頓着さじゃ、叶えるステージ登れないんじゃないの?って思ってしまう。

し、プロジェクトや本当にやるべきこととして人を巻き込むまでのレベルに達してないということだし、それで満足という(もがかない)なら、私にはできる(協力できる)ことはないよなーと思う。

 

(なんか凄い傲慢な言い方になって申し訳ない。一旦自分のことは棚にあげますし、これは自戒も込めるのですが)

 

なぜここで連絡の1本も寄越さないのだろうとか、

なぜそこでこの言葉を使うのだろうとか。

 

 

客観的に言って連絡寄越せば人1人が応援側に回ってくれるかもしれないのに。

 

ま、ないならないでいいんだけどさ。

私の協力なんか必須ではないし。(拗ねてないよ)

 

夢を叶えることだって必須ではないのだから。