今まで、株式中心に情報を取捨選択していたので、
いわゆる興味深い話、うーん例えば
これとか、
あとは、芸術の話とか、人生の話とか、美術館に行くとか、企画展に行くとか
そーゆー情報を結構捨ててたんですよね。必要ないだろうなって思ったから。
でも今、読んで良いんだ!ってなんか自分に許しが出てこういう記事を読んであー面白いなぁ、そしてどこかにこの考えが繋がったらいいな、と思えます。
この”考え方”を株式市場に応用することはおそらくできないもの。笑
こういう記事を拾うことが自分にとってプラスになると思えてるからいい。
株式に没頭しているときこういうことを読んでも、結局それをどこかに発露させることはないと思っていたから結局興味の幅も小さくなるんですよね。
本当の興味好きなことなのか、役に立ちそうだから心惹かれるのか。
その分類はどうでもいいのですが、前者のものしか残らなくなったとき、そんな自分がなんかいやだな~とも思いました。
別になんかの役に立ちそうだから好きでもいいのだと思います。それでいろんな話もできるようになるだろうし。
もっといくと、興味を出さなくてはいけないものレベルになったらそれはストレスだと思いますが。段階を書くとこう。
1.本当に好きなもの、やらなくてもいいのにやること、見ちゃうもの、興味のあること
2.役に立ちそう、面白そう、「それを知ってる自分」を好きになれそうなもの
3.やらなくちゃいけない、決まりだからやること、勉強しなくちゃいけないもの
こんな感じかと。
まぁ言ったとおり分類はどうでもいいと思いますし、重なる部分もあるように思います。
例えば株式は1と2の狭間にいるような気もしますし、冒頭の話や企画展なども1、2あたりにあると思います。
1を追い続けろ!とも思いません。言ったとおりそんな風にスパンッ!と分けられるものでもないですから。
まぁそこらへんはちきりんさんの話も近いかもしれませんね。
会社をやめるべきかどうか悩んだときに考えること。
まぁひとまず3のことはなるべくやらなくて良いのだと思います。笑
自分ルールに縛られる必要もないかと。
だからいろんなものから吸収して良いんだ!それが役に立つかもしれない世界にいるのだ!と思えることは、自分にとってなんかいい方向のような気がします。
あえて比べるとすれば、株式投資と冒頭の情報等と比べたとき、どっちがより1に近いといえば、うううううううーーーーーーーんと考えたあと、冒頭の情報の方が面白いとは思います。1に近いのは冒頭のような情報、企画展とかでしょう・・・多分。株式は2よりの1あたりに属するはず。
だからそっちをメインに、別にそれよりかは下に位置するかもしれない株式をサブでの人生であっていいだと思います。多分。今のところ。
以下ふと思ったこと
なんというか、面白いものを面白いでしょ?って翻訳作業をしていたいのかもしれない。面白さを分解できること(翻訳に対する語彙)も必要だし、どういうものかイメージできる経験も必要。
私、昔のツイート読んで、今でもそうだなぁと思うことはあったりするのだけど「できることの大きさをはかる」とか言ってるくせに全然実感ともなってねーじゃねーかと思う。でもこの言葉はきっと皮肉というか反語的な意味も含んでいたのではないかと今では思う。できることが小さいなぁとか。こうやって自分を騙して生きていくしかないでしょ?みたいな。
今は違うって言える気がしますけどね。できることが多くなったとは言わないけど、できることの組み合わせでもっと多分いろんなことができるだろうし、そこにすがるようなネガティブさもない。
昔は言ってることはまぁ間違ってないくせに、それを自分で納得できるレベルではなかったのだと思う。厄介なやつだな。苦笑
だとすると言葉って怖いよね。表面的には一緒でもそれをどう感じているか、どこまで深く考えたか、納得感があるかまでは見えないものね。
うんこ。
この言葉がどれだけの意味を持つか、あるいは持たないか、この3文字だけじゃわからない。笑