handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

昔を振り返る

昔の自分が考えてたことの先に今の自分がいるんだろうかと思って振り返って見た。

 

ツイッターを数年前まで。

(数年前まで覚えていた昔のことを忘れてるなーってことがあったので、怖くなった)

 

なんていうか昔のツイッターは今の誰かみたいだった。これが人に見えている部分なのだと客観視した。

これは多分好いてくれる人もいるだろうし、嫌いになる人もいるだろうなと思った。

 

弱い部分、わからない部分、直視できない部分には触らずに、ていのいい自分だけ見せている。

もちろん、悪い部分とか全てをさらけ出して全てをわかってもらう必要なんてない。(ということをやっとこさ最近学んだ笑)

出したい部分を出せばいいし、見ていて気持ちが良い部分だけ出せばいい。悩みならこのブログにでも書いておけばいい。SNSは人に見られるものだ。ブログもまぁそういえばそうなんだけど全然そのために書いてないし、人もあんまりここに来ないし、むしろここに来る人は(どこかの検索でふらっと引っかかって来ない限り)私のことを理解したいと思って来てくれる稀有な人ばかりだろうと思うので、そういう方にはなるべくほとんどを見せてもまぁいいんじゃないかという気はしている。

 

閑話休題

そう、そこには見えないものから逃げてていのいい取り繕った自分、正確に言えばその狭間にいる自分がいた。なんとなく友人と過ごし、なんとなく毎日を送る(くせに誰かが好きになってくれるとか、何かできるだろうと思い込んでいる)私だ。

 

否定するわけじゃ無い。知らないんだろ、その先に何があるかを。何があったかを。

先に進む覚悟もなく、でも道を変えなくちゃいけない、変えるべきという観念に駆られ答えを出すのを先延ばし先延ばししている自分。

 

しょうがないんだけど、先にいる今からすると多分この自分だったら好きにならないだろうなと思った笑。ある程度の人間は騙せる(というと言葉が悪いけど)し、応援してくれもしただろう。否定したいわけじゃ無いけど、足りてない。25、6にもなるのに、だ。

今の私は29になるのに足りてるかどうかは怪しいけど。

 

どうでもいいけど、遠くに暮らした人とか、ほんとにつらい毎日過ごした人って寂しさの反動が強い。

遠くに暮らす、つらい毎日がいけないとはいわないし、それはむしろプラスになってて欲しいものだけど、トラウマになってるだけというか、その揺り戻しが病的というか。

 

ひとりの時間をプラスにして人といるときは二乗くらいにしたいものだ。

ひとりがマイナスだったら常に人と会ってなきゃ自分を保てない。

 

ひとりで熟成もするし育つ感情もある。

音楽をじっくり聴くでもいいし、美術館に行くでもいいし、遠出するでもいいし、なんていうか、ひとりでひとりを大切にできないともうひとりも大切にできないやな。いや、わからんけど。

 

今まで書いてきたように、やっと腰を据えて人生と生きていく覚悟ができたような、諦めのような、でも外から見るとあまり変わらないような、そんな感じで生きて行くと思います。そんなこんなで今までを振り返って逃げてきたな〜というか、ここに覚悟を決めてなかったなぁというところに、つまり2018は自分の本丸とやっていこうと思います。戦うんじゃなく、本丸を理解した上で良いポジショニングをしてあげられるようにしていきたいと思います。

 

2017もとってもお世話になりました。