handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

足るを知るんじゃないんだけど

足るを知る…うーん、的な

置かれたところで咲く、的な

流れに身を任せる、的な

自分のサイズを知る、的な

諦めるって意味ではないんだけど

いや、ある意味諦めなんだけど

 

道の幅を知る、的な

見えないものに期待をしすぎない、的な

わたしはこれで生きていこう的な。

 

 

今日人と話していて、

自動運転車ってあるじゃない、あれって正しい道を認識するためにコーンを両端に置いてその間を認識させたり、あるいはわざとコーンにぶつかったりして人工知能に学習させるんだけど、

なんか自分それっぽいなと思った。

 

コーンの道が一応あるんだけど、なんというかどこまでが道幅なのか確かめる意味でもコーンにわざとぶつかっとかないと気が済まないというか。

ぶつかって学習するみたいな。

 

みんなそんなわざとぶつかるなんてしないのに笑。今が安全運転ならそれでいいと思って走るのに。

 

わたしは不安だったのだと思う、いつしかぶつかる時がくることが。ぶつかった時にどうすればいいかわからないことを怖がったのだと思う。だから一回ぶつかっておきたかった。ぶつからなくてもいいんだけど、一度でいいから人生をドライブさせたかったとは前に書いた。

 

あとはどうポジショニングするかの話だと思う。

色んなところぶつかったし、幅も今のところ知ったし、この車がどういうクルマかわかった。

その性能がもっとも輝く、もっとも走りやすいポジショニングをとってあげたいと思う。前に進みたい。

 

やりたいこと、興味のある範囲でもっともこの性能が輝く(それができ、求められる)ポジションを探す。

 

性能とポジションだ。

 

今度はそんなこと元から考えてる人達がいてさ、その人たちとは大分差がついてしまった。

 

この感覚が認められるところ、プラスになるところ、でのポジショニングが重要だの。

 

ザ大企業はそんなこと既に考え終えてるか全く考えてない人のルールだから、きっと。

生きてく世界を間違えるとダメージも大きく負うことになる気もする。