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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

How do you measure a year in the life?

How do you measure a year in the life?

 

https://youtu.be/UvyHuse6buY

 


この意味がやっとわかった。1年を計る、の意味がずっとわからなかった。みんなは何で1年を計ってるのだろう。私は距離かもしれないと思った。愛で計りたいけど。笑

 

 

だからこの1年が全く計れなくて愕然とした。

 

つまり1年を何で認識しているかだと思ったのね。

私はあーここ行ったのは2015年かとかそんな感じで認識してたことに気付いた。

 

この1年意識的にはどこにも行ってないのだもの。

 

いいろいろ勉強したことはありますよ。悔しいこともいっぱいでしたよ。ノートに書きつけたこともありますよ。

 

でもこの2017年を認識できない。

私はもしかしたら生きてないのと一緒だったかもしれないと思った。

 

そんなんだから好きな人にも振られるのだ。

 

でもよりよく動けるために我慢する期間だと思えばそうなのだし、もとからそのつもりで視野を狭く、脇目も振らずやってた。

 

そんな生き方は認められなかったといえばそうなのかもしれないし、そういう人間と関係を持ち続けたいと思い続けられるに足るような人間でなかったのだと、人間そのものや生き様は伝わらなかった。

 

人間そのもの、生き様、なんていうのはエゴだ。そのままを愛してもらおうだなんてムシのいい話はないのだ。実際誕生日も頭から飛んでたことも事実だし。いくら周回遅れを取り戻したいと思ったところで、いわゆるいくら孝行できるようになったってそういう時にこそ親は、その人はもういない。うまくやれば良かったのかもしれない。うまくやるなんていうことが頭に浮かばないほど追い込まれていたし、あまつさえ、そういうことを考えることが何かやるべきことに向き合えてない気がしてなんにもできなかったのだ。

 

今まで何かに挑む時、陸上で一人で練習に励む時、大学受験に向けて勉強した時、ストンプをやろうとしたときなど、全ての挑戦はひとりだった。就活の時はもやっとしてたな…。ともかく思い起こせば人生を左右するかもしれないときに1人でなかったことがなかったかもしれないと思った。そういう決断をひとりでしてひとりで向かって誰にも迷惑かけたくない気持ちがあったんだろうし、誰かの影響を受けたくない気持ちがあったのだろうと思う。

今回はそれ以上に私が弱かった。とてつもなく弱かった。そういう決断をしたのに、人にそばにいて欲しいと願ってしまった。抱え切れるサイズの物物ではないのにその手に抱えようとした。バカだ。弱くて、そうじゃないとどこかにいってしまいそうで、1人が怖いと思ったのかわからない、その人を本当に心からそばにいてほしいと思ったのかわからない、どういう気持ちがどういう比率で存在していたかわからないけど、とにかく抱えようとした。とてつもない問題に人生で1回あるかないかのハンドルを切る時に人に甘えたのだ。バカだ。弱さだ。

それが今ではそのサイズがどれほどのもので頭の中を占める割合がどれくらいだかイメージできてきた、今ならそれ以外のことを考えるスペースはあるし、落ち着いていろんなことも見れる時期に入ってきた、ように思う。

 

だけれど、だ。

 

こんな風にそもそも2017年を計れていない時点で私は今までの私ではなかったのだろうと思う。

そこも私なんだけど笑。

 

大切にしてたものがなんだったのか、全部と離れてみて、やっと認識できた、と言えば聞こえはいいかもしれない。

 

認識できた頃には大切だったものは無くなってる。無くなってて欲しくないけど。

無くなったことに気づかないよりかはマシなのは確かではあるけれど…。

 

大切さに気づき、リアルタイムで大切にしたい。

そゆこと2018年、いや今から判断と行動する。

 

これを無かったことにする方が私に失礼だ。

 

まとまりのない文章。