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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第2幕。

サラバ! 夏の感想文

先日、図書館から本を借り、西加奈子著・サラバ!を先程読破した。

 

こんなことを書いている場合ではないという状況ではあるのかもしれないけれど、そもそも「こんなことを書いている場合ではない」ことは誰が判断するのだろう。結局書きたいから書く、それに勝る理由はきっとあまりない。だからとりあえず書く。

中身もネタバレになるかもしれませんので、注意して下さい。

 

 

先程、書きたいから書くといったけれど、私は見ていて踊りたくなるようなダンスが良いダンスだと思うし、見ていて歌いたくなるような歌が良い歌だと思う。つまりその人、ダンス、歌、に「動かされる」ことが(評価、というか物事の善し悪しを考える捉えるうえで)重要な衝動なのではないかと思う。

この作品も、そういう意味で自分が感想文にしろ「書きたい」と思わされる文章であり、いまこうして文章を打ち付けていることが良かったと思える証拠なのではないかと思う。「歩」が書いている文章、小説はきっと誰かを動かす文章なのだ。

 

さて、この小説はずっと歩くん(敬称が難しいけどくんづけにする)が一人称で進んでいく文章で、ずーっと結構話が進まず、いやドラマがなく、淡々と進んでおり、なんじゃこらー、と思っていた。最後になるとそれは当たり前で、歩くんの(自叙伝のような)人生の話なのだから当然なことがわかる。読みながらでも、歩くんの小説に対する感動が大きかったり、書くことへの衝動が描かれている点において、何かしら今後歩くんに関係があるのだろうと思っていた。伏線が伏線であるときから伏線であると感づいた(そしてその輪郭をはっきりさせるように書かれているのだから、あるいは感づくようにできていたと言ったほうが正しいかもしれない)。

 

この小説を読んで、その昔、スティーブ・ジョブズがこんなことを言い残していたことを思い出した。

もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。

 

いま引用して驚いたけど、サラバ!という物語はこういう物語だったように思う。スティーブ・ジョブズはこういうふうに生きる人生がどういう人生なのかを体現していた人だけれど、歩くんはそういう人生、こういうふうに生きることまで、こういう人生にどうにかしてたどり着こうとした(あるいはたどり着いた)人(の小説)だったように思う。

歩くんが書く仕事へ天啓を受け(そんなに大げさなものではないけれど)、その道に進むことはさっきも書いたように伏線があったし、いつも姉から逃げ、自分一人で悶々とし、他人に対してどう振る舞うべきかを考えていた様は、小説を考える上では重要な"才能"といっても良いのではないだろうか。才能というよりも経験と言ったほうが正しいかもしれない。最後には幸せそうな友人と比べ何もない禿げたフリーターのように描かれるけれど、そういうことも全部今まで点を打ってきたその先に、今までの全ての点を繋げたものとして(小説内の表現を借りるならば)"今までの人生の頂点に今の僕が立っている"ということになるのだろうと思った。そしてそれを認め(小説内の"大きな化物"と)一緒に生きていく覚悟ができたということが何よりもこの物語の昇華であるように思える。そしてその昇華に私は感動した。感動という言葉が適切なのかわからないが、歩くんが歩みを始めるとき、感情を持って行かれた。きっと多くの人にとって実生活でもそういう歩みを進めるような場面はあるのだろうと思うけれど、それがどんなに尊いことかを改めて感じさせられたのだ。

 

 

この言葉にも集約されるだろう。

あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。

 

姉の思考を借りるならば、それを認めたとき人に芯ができるのだろう。

 

 

思えば、何かしらの答えはどこかしらにあると思う。今回は、歩くんの書くことへの興味や悶々と考える事(それはいびつと思っていた家族があったからこそかもしれない)、の点たちを繋いでいく線は小説という答えにつながっていた。現実の生活の中でもきっと歩くんの"小説"にあたるような答えは人それぞれにあるのだと思う。今までの過去を全て説明できるような、このために生まれてきたのかもしれないと思えるような、そのためにはやっぱりあれが必要だったんだと思えるような、そのルートはそこを通る以外に存在しなかったかのような道筋が見える"時"や"答え"がどこかにあるような気がする。(逆に言えば、そういう"答え"や"時"は今までの全てを肯定し、繋げてくれるくらい強力なのだ)

 

 

 

西加奈子さんの作品を読むのはこれで2作目だけれど(前回はきりこについてだった)、なんというか優しさに溢れている感じがした(そして猫好きなのは間違いないと思った)。なんというか「人ってまだまだこんなもんじゃないぞ」「生きろよ」みたいなメッセージをどことなく感じる。小説を読んでくれている人のうち一人でももし救うことができたら、と思って書かれているそんな感じがする。(なにを持ってそう言っているのかは自分でもよくわからない)ともかく優しい人なのだろうと思う。

 

 

結局は自分自身。

最後に私が最近好きな言葉を書いて締めたいと思う。

「小学生の頃、学校でうんちをしたら終わりだと思ってただろう。あれ、違うんだよな。うんちをしたら終わりなんじゃなくて、学校でうんちをした男の人生が始まるんだ。」

 

そうなんだよなー、肯定してからがスタートなんだよ。

 

 

サラバ! 上

サラバ! 上

 

 

 

サラバ! 下

サラバ! 下