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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

試験(は10年前でした)

週末はセンター試験だ。

大雪の予報もあるみたいで、どうかお気をつけて挑んで下さい。

 

この歳になって思うけれど、センター試験は厳しく言えば

勝者と敗者のボーダーラインがはっきり引かれるいわば試合だ。

そして人生においていくつかある試合のうちのひとつだ。

おそらく20歳前後の自分にとってはその試合が人生最大の試合かもしれない。

勝者や敗者などを好むと好まざるにかかわらず意識させられるかもしれない。

 

これまでの努力や我慢が実を結び、大いに健闘できることはもちろん祈っている。

がんばれ。マークシートのずれだけは気をつけろ。

 

 

でも、結局勝者と敗者に分かれるのがこの試験というシステムだ。

それはおそらく残念ながら単純に”どれだけ努力をしてきたか”で決まるものではないだろう。たまたまど忘れすることも、たまたまマークシートがずれることも、たまたま覚えたところがでることも、たまたま冴えてることもあるだろう。

 

でも、結果は非情だ。自分より勉強してないやつが受かることもあるだろう。自分より勉強したやつが落ちることもあるだろう。

その時、「努力は必ず報われる」などと言えるだろうか。単純に努力が足りなかったのだろうか。

 

綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、10年経った今思うのは、

確かに結果はもしかしたら運に左右されるかもしれない、でも、努力や行動は運ではなく、何に左右されるものでもなく自分が決められる"選択"であるということ。

書店にいって良さそうな参考書・問題集を探そうとした行動、わからないところを先生に聞きに行った行動、深夜にひとりで机に向かった行動、単語帳を何回も何回もめくった行動。すべては自分が選んで、選択してした行動だ。

その行動を選択したということが一番尊いと思う。

 

今は試験が人生最大の試合かもしれないけれど、人生における試合はこれからも結構多い。社会人・恋愛・スポーツいろんな試合がきっといろんな場面であるだろう。何も1回の試験だけで全てが決まるわけではない。決まるわけではないし、結果がでたら出たで次の手を考えなければならない。何かを選択する、行動する、その結果を見て聞いて感じて、また考え、新たな選択をしていく。生きていくって結構そういうことだ。ちなみに生きるほど人生の難易度はあがっていく。

 

でもそのときに、どれだけの行動で物事がどうなるのか、ましてや一度地獄を見るとどうなるのか、どれほどの努力によって実を結ぶのか、試合に勝つというのはどういうことか、試合に向けて努力をするというのはどういうことか、知っているというのはとても重要なのだと思う。

 

私が挫折経験をしたのは試験ではなく、今この瞬間なのだけれど、これをもし試験のときに味わえていたら人生はもうちょっと変わっている気もする。いい意味で。

 

だから結果に一喜一憂するな。と前日に言うのもなんだけれど笑。

すべての人に良い結果はもしかしたら出ないのかもしれないけれど、それでもそのために選択した行動は「自分」そのものだ。

それがきっとまたあなたのゆくみちを照らしてくれますように。

失うものなどなく、考えたこと行動したこと、それら全てが糧になる。

 

深呼吸。