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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

人に言われてから行動するんじゃ遅い

この前テレビで内村航平さんがインタビューに答えられていて、父親について語るときにこんなことを話されていた。

 

父親は普段から無口なんですけど、それはつまり「人から言われてからやるようじゃ遅い」って思ってるんだと思います。

人に行動するきっかけをもらうようじゃ遅いんです。

 

と。

その他、メダリストの先輩の「世界一になるやつは世界一練習したやつだ」といういい言葉もありました。

 

と、人から言われて行動するようじゃ遅い、というのを考えてみますと、つまり誰が何を言わなくても行動するってことだと思うのだけど、

これって確かに怖いことだと思う。

 

例えば

この扉を開けていいかどうか迷っていたとして

誰かの「開けなよ」の声をなしに開けるようなことだ。

開けなくてもいい、開ければより辛くなるかもしれない、恐怖が襲うかもしれない、そういう扉を誰の同意や応援を求めるでもなく、開けていく、そういうことのように思える。

 

これを自分を信じて突き進む、そして誰より練習する、この世界一の感覚に触れることができたことはとても興味深かった。

 

最近思うのは、やはり抜きん出るというか、充実させるというか、無味乾燥な日々からの脱却というのは、人がやらないことをやるか、人がやることでも人がやらないレベルまでやるか、しかないと思う。

 

それこそ内村選手についてなんて、よく才能で片付けるけど(番組内では努力の天才と言われてましたけど)、全く同じ努力をしてそれでも相手が上ならそれは才能の差と呼べるだろう。(実際は休んでる間もメンタルトレーニングや集中の度合いもあり全く同じなんて再現不可能ですけど)。

まず同じ努力を誰ができるのだろう。

全員に内村航平さんと同じ努力をすれば金メダルをもらえる確証があったとして、それで内村航平さんと同じ努力できる人は何人いるだろう。おそらくほとんどいないだろう。

 

それも結局、人からの確証がなければ動けない。

 

その確証もなく、その扉を開け続けなくてはいけない。そして開け続けた人しか辿り着けない境地がある。

 

逆に言うと、それができればほとんどの分野である程度生きていけると思う。

 

誰が何を言わなくても、それを始め、それを続け、更新しつづけること。クオリティを求め続ける、時間を掛け続けること。

諦めそうになったら、ここで降りる人はどれくらいだろう、と客観的に考えてみよう。

(株の損切りはこんなこと考えちゃダメですけど)

 

多くの人がそこで諦めるなら自分はあと一歩前に進む。

その繰り返しはとてつもない財産になる気がします。

内村航平さんの感覚を知れてやっぱりテレビは素晴らしい。笑