handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

良いことをしたとき

どうも。会社を辞め、トレードでPC画面を見まくって、損を出しております・・・。

なんとかしたいのですが、どうにもこうにもまだ緒がつかめていません。

少なくとも5月中には今後の生き方の方針を決めなくてはと思いますよ。

 

さて、良いこと(なんというか人の役に立ったり、人に優しくできたり、親切にできたり)したときの話なのですが。

 

昔は、なにか良いことをしたとして、

それに気づいてもらうことを期待してたりだとか、言いたくなるだとか、そうすることで嬉しさを感じる、ということが頭のどこかにあったような気がするのですが。(こういうのを偽善って言うんですかなんですか?笑)

 

今では、全然言いふらす気もなく、人に知られるでもなく、まぁ本人だけでも気づいてたら嬉しいですけどね、くらいのレベルで、静かにそのまま死にたいなぁと思います。

 

なんというか、良いことしてというか人に優しくできたらなんとなく人生の満足感があがりそうな気がします。別に徳を積むとかそういうことではないです。ただの自己満足感です。安らかな顔して死ねそうです。

 

昔は、自分が死んだら誰が葬式に来てくれるかなぁとか、泣いてくれるかなぁとか気にしてたと思うのですが、今となってはそんな気もありません。葬式開くのは大変で迷惑かかってしまうな・・・というくらいです。

もうそういう「誰が泣いてくれるか」は指標にはならないのです。誰に知られなくても静かにやることやって静かに息を引き取りたいなぁと思います。

そしてなぜか、そういうことを思うのは「良いこと」をしたときです。なにか満足いくことができたとき、あーこのまま静かに誰にも知られずに消えたい、と思います。

 

なんででしょうね。