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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

卒業する君へ

卒業おめでとうございます。

 

出典がどこかももう忘れてしまったのですが、25歳までは儀式が必要らしいです。

卒業式なり、袴を着るなり、追いコンするなり、そういう儀式があってこそ次のステージにうまく進むことができる、そう聞いたことがあります。

 

無事に卒業式を終え、また入学式、入社式、など儀式を乗りこなし、だんだんとそして急に変化するこれからにうまく順応できることを願っています。

 

さて、儀式を終えたとて、その儀式が必要なのは25歳までだと書きました。入社で言えばちょうど3年目を終える頃です。3年目を終える頃君たちはもう儀式など必要ありません。むしろ儀式から巣立たなければなりません。日取りなど決まっていません。誰も特に何も言ってくれません。あなたがどんなに希望に燃えていようが、どんなに絶望していようが関係ありません。

そこから何を見出すか、はたまたどこへ向かうのかあなたの選択次第です。

 

終身雇用制度が崩壊したと言われて久しいです。安定した大企業なんて世の中にはない、などと言われて久しいです。どうでしょうか。日本は変わってきたと思うでしょうか。個人的にはまだまだ変わってないなーと私は思います。もちろん大海原に飛び出す方々はたくさんいます。転職だって珍しいことではなくなりつつあります。

 

変わることは大変に厳しく、怖く、不安で。

守られていること、変わらないこと、今までの常識が通じることは、それを好むと好まざるにかかわらずとても簡単で、優しく、安心をもたらせてくれています。

無意識的に、今までの常識が通じる世界こそが現実の世界なのだと、思いたくなるものです。-悪いことをして痛い目にあえば「バチが当たった」、なにかがうまくいっても「そんなにうまい話はない」と自分を制御してしまいます。(自分の中の)常識で生きていきたいからです。-

 

「見てきたことや聞いたこと今までの覚えた全部、デタラメだったら面白い、そんな気持ちわかるでしょう?」そう歌っている誰かがいます。あなたにはそんな気持ちわかるでしょうか。

 

つまりこういうことだと思います。結局は常識なぞ私らが、そしてあなたが「見てきたもの、聞いてきた」"程度"のものでしかないのです。見てきたもの、聞いたことは確かにあらゆる場面で常識となり味方になってくれますが、反対にそれらは私らを抑え込む足かせなったりしているのです。

 

そして、その時その足かせを外す唯一の方法といえば逆説的ですが"さらに見て、さらに聞くこと"なのです。デタラメも真実も取り込んで、君が選び取るのです、君の人生を。

 

そうして"選び取った"人生はきっと何よりも君を輝かせる。

 

卒業後の進路で、1年で、2年で、5年で、10年で、全てが決まることはない。

さらに見よう、さらに聞こう、人を、世界を、物事を。

 

そうして君が"選び取る"その日をまた心待ちにしています。

 

いかに知らない世界が広がってるでしょう。どんなにひどいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、どんな嬉しいことも、どんな楽しいことも、どんな驚くこともきっと世界は見るに値する、聞くに値する。目を凝らして、耳を澄ましてください。

 

 

卒業おめでとうございます。ようこそこちら側へ。

選び取ろう。

 

2016年3月吉日