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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

ベビーカーの存在

なにかと「ベビーカーが目障り」だった、という理由で、子供やその親に嫌なことが降りかかったりするニュースはよくある。

先日、ベビーカーを押す機会(?)があったのですが、ベビーカーって押してみると大変で、いやその前に子供から目を離せないっていうのも相当大変なんだけども。(とりあえずベビーカーの話だけしますね。)

小さな段差や障害物、階段、他人との間隔、そういういろいろなものに気を遣わなきゃいけない。そして子供にだって気をつかう。うるさくないかなーとか振動大丈夫かなーとか。

それが目障りに思われちゃあ、おしまいだよなー、としか思えない。

確かに僕も「子は宝」みたいなフレーズはあんまり好きじゃないけど笑。なんだろう無条件になんでも許されるという意味ではないし、それこそ20代とか我々が宝と言われただけの何かを遂げないといけないと思うから。そこで初めて宝と言える、と子である私は思う。

でも、そういう子供を大切に育てようという感覚が社会でもてなかったらそれはそれで終わりだと思う。

なら、ベビーカー専用車両でもつくりますか、ベビーカー優先席や優先レーンをつくりますか。

(東京だったら必要かもしれない。)


そもそも東京は、そういうベビーカーなどに対して不寛容なスペースしかないと思う。これは施設やカネの話ではなくて、物理的な人のパーソナルスペースが確保できてなくて、ぎゅうぎゅうの密度で暮らしているから。その上、ビジネス街で、子どもの優先順位があまり高くない人がせっせと毎日追われるように生きている。

もし、それによって(もしくはそれによらなくても)、人々が社会で子を育てること、それによって多少自分にも我慢することが発生した時に、寛容になれないのであるならば、その社会にとって子どもの存在は邪魔になる。

(それがなきゃ成り立たないとか、未来の話は置いておいて)

つまり、子どもが邪魔だと思われる、そんな世界で子育てをするのはあまり得策ではないように思える。もちろん職場の位置やいろいろな要因が存在するのでしょうが。

人々が子育てや生きていること、生きていくことに、寛容な世界や社会や地域で生きていくしかないだろうな、と思う。

そうでない世界や社会や地域を見限るしかない。

子育てがしやすいっていうのはきっとこういうことを指したりするんだろうな。

というのが現状の答え。


そこから一歩進めると
果たして社会の感覚を育てるにはどうしたらいいんだろう。
土地や建物が人を変えるのかなぁ。

ビジネスの街と共存させるの無理なんじゃないかな笑。
東京固定ならビジネス特区と保育特区を作るとか?

東京じゃなくてもいいなら、土地に余りある場所でのびのび育て、遠隔地からビジネスをするかだよなぁ。

あ、それかいつも両親2人(もしくはそれ以上、祖父母含め)揃っていれば多少軽減されそうとも思える。
5歳までは、地域総出で面倒みるとか…笑。
うーん。

個人ができる現実的なのは、東京を捨てることなんだよなぁ。

私も東京での子育ては御免かもしれない。