handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

割り切ることの難しさ

色んなことが割り切れたらどんなに楽に生きれるだろう。

先日、札幌はすすきのを訪れたけれど、すすきのといえば風俗なんかで有名なんだけど
そういうのを楽しめない私。

別に男が好きとか女が嫌いとかではないのだけれど。

「割り切って楽しめばいいんだよ」

そういう言葉がふと重くのしかかる。

思えば割り切るのは苦手だなぁと思った。

就職の面接なんかでも、割り切ってハキハキしたら良いだろうし、深く考えずに働けたら悩まなくて良いし(これはお金を稼ぐためだけの作業だ、とか)、合コンでも割り切って面白いキャラになれたらモテるだろうし、接客や初対面でも割り切ってスイッチを切り替えられたら印象もよくなるだろう。

割り切ること。

多くの社会の人が知ってか知らずかそうやって生きているのかもしれない。

「割り切らないとやっていけないよ。」

割り切ることができないときはどうしたらいいんですかね。

なんにしても割り切ることが基本的に苦手である。割り切って我慢するくらいなら逃げ出したい。

こんな人間はきっとおおいに生きにくい。

だって悩むのが人間だし、割り切れないのが人間だし、選択は一つの要素だけで決まるものではないし、感覚を説明するのは難しいし。


割り切ることや悩むことを逆手にとって、明快な答えや誘導ができる人は素晴らしいんだろう。

「素晴らしいんだろう」?


誰にとって?何において?



割り切ること、いつまでもできなさそうである。生きにくい人生と一緒に。