handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

点と点と展。

なんていうものを思いつきつつ。

昔にAppleの創業者、スティーブジョブズはこうスピーチしておりました。


デザイン・カリグラフィーを好きだから学んでいたけれど、それらはマックを作るときに蘇ってきた、という体験をもとに
「未来から見て線を描くことはできない。今は点を打つことしかできない。でもそうした先にそれらの点を結ぶことができる」と。(意訳)




ということを「ふんふん」と思いながら聞いていた訳ですが。

最近思うのは、この点たちとこの線の結び方って、それはもうその人、個人にしかできないものである、ということです。

つまり、その人の過去が点であると思うんだけど、その人と同じように点を打ってきた人ってこの世にもう一人も居ないんですね。

点ひとつひとつそれぞれはもしかしたら似たような点もあるかもしれない。例えば同じ学校で同じ部活動をやっていたとか。

でもその前後を含めたら同じ人なんてほとんどいませんし、その点がどういう点だったか(例えばどんな人間関係が持てたとか)ということで言えば、かなり唯一無二の点と言えます。


つまり、その点を結んだ線はかなりの天文学的な確率でその人しか描けない線な訳です。
これがその人にとってどのようなアウトプットになるかをかなり左右していると思うし、その点の打ち方がその人を表し、またその人のフィルターと言っても良いかもしれません。同じインプットを得てもフィルターを通せばアウトプットは違ってくる。


又吉さんがあるNHKの番組で「例えば、『又吉』という名前の職業があったらいい」と仰っていました。これにはすごく賛成なのです。(私も将来なりたいものがなくて本当に困りました。)
別に仕事が何かあるとして今名前がないという状態だって本当は構わないのです。
名前=その人の職業だったらかなり夢があると思いません?
その人のそのものが価値があるように思えるというか、ここにおってもいいんや、みたいな。
何かを果たすためにいるのではなく、その存在、その線、が価値を生み出し、また別の価値に交換されることが可能である。


唯一無二の線は、つまりそういうことを可能にするのではないか、とも思っています。


そしてこの60億人の点と線にすごく興味が湧くのです。
もしかしたら60億人にぴったりな職業(というか「在り方」)が存在することができるのではないかと思うのです。

Connecting the dots.

(そして最近はこういう疑問に思ったことや、こうなんじゃないか…?みたいなことを形にしたり、発信したり、して「みたい」と考えています。)