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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

「仕事なんだから」の意味不明さ。

「仕事なんだから」その言葉はまるで、赤ん坊を黙らせる大人の言葉のように扱われる。

仕事なんだから、しょうがない。
仕事なんだから我慢。
それが仕事なんだから。

この点にだけいえば、私は仕事は人間より先にはこないと思っている。
仕事なんて概念、自分たち(人間)が作り出したのに、それによって、自分たちがありたい姿でいられないだなんて本末転倒だと思う。

人間が先、仕事があと、だ。
誰かがあまちゃんだと言うかもしれない。
でも誰かが決めた価値観を信じる必要もない。
違和感を感じるのならなおさら。


だから、新しい定義をしなければならない。
シゴトナノダカラシカタガナイ。

その言葉の持つ意味を、定義し直すこと。
それは自分の世界を生きることに役に立つと思う。
与えられた価値観ではなく、一回壊して定義し直す。
ひっかかりがあるなら変えていこう。
定義し直すからこそ見える自分の価値観。
そういうのも見えてくる。


シゴトナノダカラシカタガナイ。

私が思う定義はこうだ。


自分がそれをやることによって対価を得ることを"選んだ"のだから、君はそれをやるべきである。

まぁこんな感じだ。

もちろんここの定義のニュアンスは人によって違うだろう。

私は、対価とか選んだ(責任)というニュアンスが入ってくる。そもそも私が気にしている概念なのだと思う。


はてさて、そうすると、もうちょっと考えを深めることもできる。


僕は対価のためにこれをやっているのか?とか、選んだ、ということは今ここにいるのは自分の選択の結果であり、誰からも強制されるものではない、つまり、別に私がこれを選ばなくてもいいのだ。嫌なら辞めれば?って感じだ。

嫌なら辞めればいいものを、グダグダ言いながら従うのもバカらしい。

ただ、それで失うものもいっぱいあるだろう。
(若いうちの方がリスク取りやすいし、失うものなどほとんどないんだけど)

自分の人生、ハンドル切ってみよう。

どう考えても、人生で一回くらい、何も考えずに、仕事やめちゃった、って人の方が魅力的に思えてしまうのです。笑。


僕はその決断そのものに憧れている。


大学受からなかったら、海外に行こうとか思ってたって、受かっちゃって、結局安定的な大学生活送りやがって。
人生って生きるためにあるんじゃないんだよ。
人生イコール生きることだから。

今この瞬間に、所属も学歴も肩書きもお金も肌の色も英語力も関係ない。
どれだけ生きててよかった!って出来事に出会えるかなのに、何やってるんだわたしは。