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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

一旦ゼロになること。

例えば昔付き合っていた人と仲良くできるかできないか、という話になったときに、私は結構仲良くできてしまう人間だと思うんです。振った振られたも含めましてね。

 

まぁ別に喧嘩別れして、あぁ~もうこの世から消えればいいのに!とかレベルになったことがないし、そういう気も起きてこないので一般的な感覚とは状況が違うのかもしれませんが。

 

なんか、そういう事をいつまでも気にしている方が相手にとって迷惑なような気がして、いや正確に言えば、例えば、男性は元カノの事をいつまでも自分のこと好きだと思っているみたいな話(女性はそんなこと全くない)がよくありますが、それと一緒で、

 

気にしてるのって俺だけなんじゃないか。みたいな気になってきて、そもそも相手が自分を気にするとか考える事自体おこがましいなみたいな。そんな気分になってきます。

 

とはいえ個人的には、それがどうであれ付き合うだとか好きになったとかっていう事実があって、そういうことには一応の責任は(表面には出さないけど)持っていたいよなぁと思います。

責任というのは、別れたからといって相手を非難したり、無視したりとかそういうことはしないようにすることです、だって腐っても(?)好きだった人ですから。

(いや、自分に妻ができたらそれはきっと成立しなくなる部分もあると思いますが。)

 

その間、そういううっすらとした責任は残るんだけれども、立場上はゼロに戻るわけで。付き合う前と同じ感覚に戻るわけです。だから普通に接せられてしまうわけなんですけど。

 

となると、じゃあ間隔があけばまた付き合うことにもなりうるのかっていうところなんですが、多分そういうこともあるんじゃないのかなぁと思っています。

自分が振られた人でも、世の中タイミングってモノがありますから、もしかしたらこのまま生きていれば、いずれまたどこかで出会うこともあるんじゃないのかなぁと思ったりもします。

ただ、だからといってずーっと連絡を取るとかそういうことじゃなくて、まぁ取りたくなったらとりゃあいいんですけど、何か偶然的に物事が進むことあるじゃあないですか。(もちろん、進まないこともあるでしょう。相手が結婚しちゃったりね。)

 

そういう偶然的な自然発生的(だと思っている)なことを待ってしまう傾向があるんですねぇ私(笑)。本当に結婚するんだったらいずれまた付き合ったり出会ったりするんじゃないだろうかって。(現実を見ないクソロマンチストですね。その間にみんな結婚しちゃうんですけどね笑。)

 

だから何らかの違和感で別れる人もいるじゃないですか、もちろんそういう人ともいずれ何かが変わったら何か変わるんだろうなぁとも思ったりもします。逆を言えばお互いに何も変わらずに再び付き合うことは多分ないでしょうし、やめたほうがいいとは思いますが(寂しいからやっぱ復縁しよう、的なね)。人は急には変われないから、だからそういうのってあんまりうまくいかないんでしょうね。ちょっと間が空いてもし変わってタイミングがあったらまた戻ればいいのに。その時また考えればいいのに。

 

とはいえ、不確定な未来も視野に入れながら同時進行的に生きていくのは結構難儀なことなので、普通は先の不安に耐えられなくなったりして、その時その時で決断をしていくのが結局は一番ラクなのだと思います。(私は、曖昧なら曖昧なまま進む(でもいつかは決断はくだされるけど)ことを学んでしまったので、ちょっと特殊ですが)

 

というわけで、それが新しい出会いかどうかに限らず、出会い直すってこともあって。そうしたときに人と出会う、出会い直すにあたって、私ができることは、私がちょっとずつ変わっていることだと思います。そしたら別れた人とももしかしたらうまくいくかもしれない、手の届かなかったあの子ともしかしたらうまくいくかもしれない、そういうことです。(私の個人的な話ではないよ笑)

 

だから私はこれからも知らないことを知りたいし、体験しなかったことを体験しょうと思います。自分がちょっと変わるために。そう思えるのも、今まで安全地帯で十分生かされたおかげだとも思いますが。

 

何かを変えない限り、何かが変わることは有り得ない。ですからね。


孤独と不安のレッスンを兼ねて。