祖母が亡くなって30日が経つ。
亡くなってから喪に服すというエントリーを書いてから、なるべくSNSなどでの発言を避けて、例外(ブログ、沈んでる人への返信、時期を逃したら成立しない文章(卒業に寄せてなど))を抜いて、おとなしくしておりました。
まぁ四十九日のところもあるけど、30日ってところもあって始めたのでひとまず30日にて忌明けとしたいと思う。
こういうことをやりながら思ったのは意外とこの喪に服す行為がそれなりにちゃんと意味があることを思い知らされる。
なんか軽い気持ちでTwitterとかに書きたくなる衝動が起こるのだけど、そのとき忌中だから…と思うことで祖母のことを思い出す。Twitterに書くことはそんな故人への冒涜だとばかりに思い込ませてみると簡単なことじゃあ何も言えなくなる。笑
(だから本を読む気になったり、ひとりの時間をいかに充実させるかに目が向いたりした副産物もあった)
多分こういうことがなかったら少なからず私は故人を忘れてしまうだろう。いえ、忘れないけれど、心の中に占める容量は減っていくだろう。
何かを制限することでその人を思い出せるって、きっともともとの忌中とか喪に服すとかと意味が違うかもしれないけれど、今回そういう期間を設けたことはとても私にとっても良いことだったと思う。
30日間。
安らかにお眠りください。いずれ私もそちらにいくのでしょうから。
そしてもうひとつ。
だからこそやっぱり会うとか特定の人にきちんと連絡をとるってことは良いことだと感じた。
一番情報量が多いのに、紙にも残らない受信履歴も通話履歴も既読もRTもつかない一番不確定な記憶に残すため、僕らは「会う」のだ。そこに行くんだ。それを見るんだ。嗅ぐんだ。触るんだ。聞くんだ。
そう思えた忌中。
さぁ明日から通常営業、平常運転。
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どうぞごひいきに。