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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

人の哲学に揺さぶられることが減ったと思う

この歳まで生きてくると、自分の哲学が決まり切っているのか、他人(の良いところも)を自分の糧にしようという向上心がないのか、頑固になっただけなのか

他人の話を聞いて、「へぇー!そんなの考えもしなかったな!」と思うことが減ってきている気がする。
なんでも「うんうん、そうだよなぁ」と自分で一度考えたことあるような気がしてたり、自分の考えに置き換えて理解した気になっていたり、
「そーゆー考えの人もいるね」とか、まるっきり自分には寄せずに別のものとしてみたり。

なんですかね、他人から吸収できない身体になってきてるんですかね。そんなこといいつつできてるんですかね。

学生の頃は、「ほへぇーそうなんですか」「かっこいい…」て感じることが多かった気がするけど。
最近じゃあ、人の哲学は前述の通り、たとえ自分の哲学(考え方)を話すときも、うあぁこんなこと言ったってなんだっていうんだ恥ずかしい…黙ってやることやって話をするべきだよなぁというか、成果物によって話をするべきなんじゃないかなぁと思うようになって、何もないのに想いだけは一丁前な気がして人にああだこうだ想いを話すのが憚られるようになってきた笑。

だから、具体的な方法論やこうしたらこうすればいいとかっていう交換を欲している気がする(つまらない人間かな…笑)し、そういう話ができているのは楽しい。もう哲学とかじゃなく、情報の交換。実際的な何かを解決できる手段、引き出し。そゆのが実になる。

それが成長なのか退化なのかわからないけど。自己啓発から専門書に進んだのかしら。「進んだ」と言えるのかしら。
「道」も決めないとね。


黙ってやることをやること。
それが社会人が話すってことのような気もする。
哲学を話すのがちょっと野暮ったく思える今日この頃。

(でも他人の思考回路は知ったほうがいいと思うんだよなぁ…うーん、でもそれは哲学とかじゃなく、考え方のクセというのかな、と考えるとやっぱり実際的?)

うぬぬ。