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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第2幕。

浅田真央さんの引退について思うこと

なんだかふとニュースを見ながら思いを馳せる。

私も高校まで陸上の長距離を真面目にやっていて引退するときがやってきたときのことを思い出す。

あくまでそこらの感覚で、そりゃお前世界選手権だのオリンピックだの史上最高得点だの、いうレベルと同じに扱うなよ、って大量の人々にバッシングを受けそうだがまぁ個人的な感覚なので書いておく。

おそらくなのだけど
真央さんって次の世界選手権でそれなりに満足のいく演技ができて、ともすれば優勝などできれば引退するよね?おそらく。

なんというか満足しましたって。

オリンピック前から引退を示唆していたけど、ああすることで自分のマインドが引退に向かっていって、例え良い(得点の高い)演技ができようができまいが、それなりの理由を(無意識的に)つけて、あぁ満足いった、私はこれで充分って思えちゃうのじゃないかと思う。

すげー一方的な乱暴な極端なことをいえば、ショートプログラムで吹っ切れたからあの演技ができたわけで、それで、私は3回転を飛びたかったから、それができて単純に良かったって言えるのかな…と思ってしまう。バンクーバーと合わせて最高の演技だったって100%納得してるのかな。
3回転なんて練習でも成功させてるじゃん。それで良いの?良くないよね…?
3回転をあの五輪の舞台で成功させることが「達成」だったのだよね。

あの五輪での舞台での成功とか達成とか満足とかってフリーだけで語られるものなのかな。
(私がとやかくいう資格も全くないことは重々承知なのだけど)、なんていうか、マイナスがゼロになったというか。
ヤンキーが子猫拾ったから、ヤンキーがすごく優しく見える!みたいな感覚に近くないか、とうがってしまう。
そして世間はそれで万事OK感動した!の風潮。(だからこそ私がこんな天邪鬼なこと考えるわけですね。)

私も走ってて、良い結果を残せたわけじゃないけど、引退のレースは決まっていて、全然良い結果じゃないのに何故か満足してしまって(初めから引退だ、と思って臨んだので、悔しさを晴らす舞台もないことを自覚してたのかもしれないけど)、応援の人たちに感謝して、次の記録会も出ることはできたけどなんか満足して辞めてしまったのだよね。

もしやそういう感覚に近いんじゃないかなぁと思えて。

辞めるなら、なんていうか変な、自分で満足してますとかこれが私にとって最高だったんだとかいう精神って、有る意味では参加することに意味があるオリンピックイズムにとても則っている考え方なんだけど、もしかしてそういうのを言い訳にして自分の手の届く範囲のことしかしてない可能性については考えた?とちょっと思ってしまう。

そりゃ確かに多分日々想像を絶するトレーニングや我慢があってアスリートを続けることはとても簡単なことではないと思うけど。
そんな綺麗な言葉を残して去っていくことにちょっとなんだか違和感を感じるのは私だけなのでしょうか。

私には力がなかった。オリンピックで優勝はできなかったし、今優勝できるというモチベーションも湧かない。オリンピックという舞台に出られたことは感謝しているけれど、3回転飛び終えたとき終わったのです。私の中の何かが。
そういうこと?
なら世界選手もいらないよなぁと思う。

世界選手権が有終の美を飾るための手段、満足を得るためのものになるんじゃないかなぁって。

そしてそれがなんとなく想像できてしまうから一番つまらない。

なんていうか、散々な結果でもいい、悔しくてまだ続けると思ってもいい、圧倒的な演技で再び競技の魅力に気づいて続けるでもいい、

でも有終の美を飾ってはい満足さようなら。だけは想像できてつまらない。

どうかどんなかたちであれ私の想像を裏切って欲しい。

なんていう超無責任なうざいやつですね、私は。
まぁ個人が本当に満足してたらいいけど。ハタからみてもったいない…とちょと思えてしまったのです。