handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

分類

あぁそうかもしれない。

ごちゃごちゃ言って茶を濁してきたけど。
言うたびに的確に捉えられていない自分が嫌になって、それとない理由をくどくどつどつど述べては腐っていく自分に嫌気がさした。

おそらく、なんとなくそれなりに幸せになることがいやだったのかもしれない。
いいえ、正確に言えば、なんとなくそれなりの幸せってつまりこだわりがなくって、それを本当に自分が選んだって自信がもてなくなってしまったのだと思う。

世の中ってほとんどが選択肢に溢れているんだけど
歯を磨くかとか何食べようとかなに勉強しようとか寝ようとか起きようとかなんでもいい、そういう選択に満ち溢れている。
でも全部が全部意識的にやっているかというとそうでもない。
あんま考えなくていいことはほぼ自動的に、そして特に考えもなくそれを選ぶ。
いうならばなんだっていいからだ。
もしくはそれを選ぶことに意識的になることにあまり意味がないからだ。

だんだん相手がそういう範疇に入ってきてしまっていたんじゃないかと思う。(ひどいね)
だからきっと「なんとなくのそれなりの幸せがやってくるんだろう」と僕は表現してた。
そういう範疇に入って来て欲しくなかったからだ。
そういうものはそういう範疇にいれず
になんだっていい存在なんかではなくありたい。

じゃないとやっぱりどこかにスキができて大切にできないんだろう、と思っている。

なんとなくにこだわりは生まれない。

きっとそういうこと。

まとめようとしたけど夜も遅いのでこの辺で。

めりーくりすます。