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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

インプットの質ってものの存在

先に大まかな一言要点を書きますね。

・アウトプットの質はインプットに左右されている。

・インプットにも質の高い低いがある。

・インプットの高い例

 ・博報堂の人の話

 ・宮崎駿さんの話

・普段に置き換えてみること

 ・才能の正体はインプットか

 ・就活、先を考えてみるときの視点として

・インプットの質を高めるために

 ・見方を知る

 ・良い物を「きちんと」みる

終わり

以上のようなことを今から書きます。

時間がない人は上を読むだけでOKです。

さて、最近思うこと。

仕事があーだこーだ、絶賛お悩み中であることは変わらないのですが、

全然良いアウトプットが出せない出せない考えて、なんでだろう、って思ってると

やっぱりインプットが圧倒的に足らないのです。

デザインの力しかり、ディレクションしかり、フレームワークしかり、

そゆのが足りない、考え方が足らない、

逆に言えば、みんなはどうやってんだろう?って気になる、

これこそインプットを求めてることに違いないと思う。

何か(課題を含め)を創造する、解決する、何かを狙って、それを表現する、伝える、ことを考えたとき

何にもない0からスタートする、0から何かを生み出せることはない。

(アイデアは既存のアイデアの組み合わせなどよく言ったものです)

そう考えると、インプットをどれだけしてきたかが大事や・・・と思う。

アウトプットのためにはインプットをアウトプットよりも早くサイクルさせなくてはと思う。

でも、何か特別なインプットがあるのかというとどうやらそうでもないらしいことを最近思う。

本を何十冊読んだとか、辺鄙な街に行くだとか、そういうことじゃないらしい。

(正確に言うと、本を何十冊読むとかって段階もある種の手段として大事なのだと思うが、それとはまた違う次元の話があるのかもしれないという話。)

例をあげます。

1.博報堂の方の話

先日、博報堂の方や電通の方の講義を聞く機会があって、そこで上の考えに近いことに触れることがあった。

そのお二人はプランナーとかディレクター、プロデューサーとしてかなりすごい人なのだけど

どういう所で情報を集めてるんですか?との質問に

「本とかは全然読まないですねぇ」

「多分今年1冊くらいだと思いますよ」

と答えていた。

続けて

「でも本屋併設のカフェに行ったとき外を眺めていると、服装からこの道行く人が、どの女性雑誌(ananなのかJJなのかnon-noなのかviviなのかとか)を手に取るか大体わかってきました。この人が何を手に取るだろうかって、いつも自分の中で賭けをしてるんです(笑)」

と、話していて、ぎょえ・・!マジか・・・!と思ったものです。

もう一方は、

「たまたま珍しく1日休みの日があって、テレビを何気なくつけていたんですけど、見ているとこれが面白くて。面白い演出とか気づいたところをノートに書いていたら、1日でノート1冊終わっちゃいました」

と。マジすか。

ここらへんから、別に俺だって環境的には同じような時間の過ごし方をしているはずなのに・・・

ありゃこりゃインプットの質が違うな・・・って仮説が頭に浮かんだのです。

世界の見方が違うんだな、と。

世界が100でできているとしたら、いつもの私は2ぐらいしか吸収してないけど

この方たちは、50くらい吸収してる、とかそんなイメージ。

2.宮崎駿さんの言葉

先日、糸井重里さんの「はたらきたい展」に行った時に

(そこではいろんな人の「仕事」にまつわる言葉が書いてあるカードがあるのだけど)

鈴木敏夫さんが宮崎駿さんについて書いてあるカードがありそこにはこう書いてありました。

-(宮崎駿は)電車に乗っていても、たとえば、隣で女子高生がしゃべっていると、すぐに、指折り数えはじめるんです。何をしているのかというと、ひとつの単語、ひとつのセリフを「何秒でしゃべっているのか」計算しているんです。それによって、女子高生の言葉や「現代というもの」をつかまえるんです。あの人は、つねに「観察」しています。-

これを読んだとき、頭にあったインプットの質の違いの仮説が確信に変わりました。

質の高いアウトプットを出せる人は、インプット自体がものすごい高いレベルである。と。

そう考えると、

才能というものの正体はここにあるような気がするのです。

(もちろんそれができるくらいに「好きかどうか」もあるとは思いますが)

質の高いインプットができる分野こそが、才能のある場所なのではないかと思います。

例えば、料理を食べていても「これ○○使ってるのかな?」とか「どうやって作れるんだろう?」とか

考える人は料理の才能がもしかしたらあるのかもしれない。

サッカーをしていても「メッシってどうやって動いてんの?」と思ってひたすらメッシのビデオを見続ける少年や、ボールを蹴り続ける少年、そういうところに才能があるのかもしれない。

単純になんとなく好きとの違いは、きちんとしたインプットなのかどうかだと思う。

(ボールを蹴るのがただ好きな子は特にメッシの動き方なんて気にしない。ボールを蹴ることが楽しくて好きなのだから。)

(きちんとしたインプットが何かというと、自分の中で、疑問→仮説→実践があることかな・・・ここはまだ考え中だけども)

そうすると、だ。

就活を含めて、自分は何がやりたいんだろうとか

この先、どういうことしていこうとか考えたとき

「質の高いインプットを(知らずに)やっている分野」をオススメする。

それが一番、自分の価値を生み出せて、知らずに楽しく、効率的にできることだと思う。

恐らくほぼ「自分が考えていること」には、殆どの人が無関心であり、

それが自分しか考えてない特別なことだとは露ほども思っていない。

でも違う。

あなたとその隣にいる人は考えも着眼点も興味も違う。

全く違う、かどうかはわからないけど、少なくとも全く一緒ということはない。

ミリ単位では絶対にずれてる。

そのズレが、社会では価値になる。

あ、そんな見方があったの!って思わせることは、すなわち価値の提供でしょう。

逆を考えたらわかりやすい。そんなこともう知ってるよ、っていうことに価値はないでしょ?

ズレがあるということは、すなわち価値を提供できるということ。

これって生きていく上では相当な強みだと思うんす。

例えば、私は路地裏なんかが結構好きだけど、

路地裏の道幅と建物の高さの関係とか、色彩はどうだとか、もしそういうことをインプットしてたら

路地裏好きにちょっと違う価値を提供できうる。

もしかしたら、路地裏好きじゃない人も好きなってもらえるかもしれない。

単純に言えばそういう本を書いたら、路地裏好きには売れるかもしれない。

それは、つまりちょっと質の高い、質の違うインプットをしてるからこそできることなのだと思う。

それをどう見つけていくか、は、

単純に言うと、「え、なんでそんなこと考えてんの?」って言われたことがどこかになかったか

考えて、思い出してみること。

「こんなこと考えてるの俺ぐらいかな・・・」とかということをなんじゃろうかと考える。

さっきも言ったように本当に自分に対しては無自覚、無関心、だろうからその枠をとっぱらって

「今、私何考えてた?」って「思考」を捉えること。

そういうものを紐解いていけば、どこにおいて質の高いインプットができているか、

ちょっとはわかるかも知れない。と思う。

(僕も、どうにか頑張ろうとしてる、どうにか「思考」を捕まえて、実践に生かせないかと思ってる。)

(そもそもこんなこと考えてる事自体も何かに繋げられないかとも思う)

んじゃあ最後に

質の高いインプットはどうしたらできるのか、と考えときたい。

まず、見方を知ることだと思う。

それは、自分がまずアウトプットする立場になってみるのもいいかもしれない。

本を書こうと思ったら、え、表紙ってどういうの?とかイラストってどう入ってるの?とか

文章ってどう構成するの?とか色んな事が足りてないことがわかったりもする。

博報堂の人のような感じで、先駆者の話を聞くのも良いかもしれない。

すごいと思う人は何をどう考えているのか、それに近づくことでその思考にも近づけるかもしれない。

桜井さんへのインタビュー記事で、桜井さんが何を気にして歌詞を作るのか、わかるかもしれない。

どういうふうに世界を見ているのかわかるかもしれない。

いろんな見方のモデルを自分の中に蓄える。

(もちろん、それも自分ができる人、したいと思う見方でいいと思う。)

入口に本を読むのももちろん良いと思う。

例で出した人(博報堂の人とか宮崎駿さんとか)はもう本のインプットのレベルを越えている感じがするが。

それに加えて、やっぱりイイものをみること。

質の高いモノ、コトに触れること。

わかりやすく言えば、オリンピックとか世界的イベント、コカコーラ、Googleとか世界的企業、シルク・ドゥ・ソレイユの舞台、なんでもいい。イイもの。

で、大事なのは、自分で何がどうだったから良かったのか、を噛み砕いておくこと。

アメトーークのプロデューサーも言っていたけど

面接で、すごく個性的な人や独創性のある人はまず通さない、必要なのは「面白さを理解できる頭」「面白さを伝えられる頭」だと。何が面白いか、どこが面白いか、どこが面白くないか、なぜ面白くないか。自分で問を設定して答えを考える能力です。と

有名だったり、お金があったり、世界的なことだったら何かしら良いだろうから

そういうものから何がいいんだろうかとか考えてもいいし

自分が好きだなぁとかいいなぁと思うものの、「今どこがいいなと思ったんだ?」とか考えてもいいし

何がどうなってたからいいななんだ?とか考えてもそれは自分独自のインプットになるだろうから

きっと価値が生まれる。

(そういう個性って価値なんですよ。社会にでるまでは、或いは固い仕事では敬遠されるかもしれないけど)

これやりたい!あれやりたい!よりも

あ、そんなこと考えてんの、とか思われていることに目を向けてみるのも実は良いかもしれない。

と思っている。

僕も、圧倒的にインプットのなさを感じる毎日なので、吸収した毎日を過ごしたい。

価値を生み出したいね。

いつになることやら、絶賛お悩み中。

それでも応援はいつでもできるように。

被応援はいつでも歓迎。

ほいじゃーね。