handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

些細な分かれ道に気づくこと

はいさい。

今日はなんと、早稲田のSTOMP!がいいとも出演を果たしました。

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見ているこっちが何故か緊張しだすというわけのわからなさ。(笑)

誰にも伝わらないだろうけど書いていく。

後輩が作ったサークルも同じコーナーに出てたことがあって

そのときは「あぁすごいなー」(ぽかーん)って感じだったのだけど、

いざ自分の場合になっ見るとすごい感触なんだなぁ。

きっとこの感覚は俺が後輩のをわからなかったように誰にも伝わらないかもしれないけど。

誠に僭越だけども、卒業して時間が経っても創って良かったって物事に出逢えることが何かを創る醍醐味だなぁって改めて感じる。

やらなかったら出会わなかった人は確実にいるし、お昼にこんな興奮することはなかった。

タモさんに「こりゃつぶれるな」発言もらったけど笑、本当存在してるだけで嬉しい。

まぁ完全に私以外の人の力なんだけどね。

わたしゃ言い出しっぺなだけなのだが、でも言い出しっぺになれて私は嬉しい。

いったもんやったもんがち。

ひとりで大人気なく喜んで良い酒が飲みたい。

場とか機会を創るってほんと良いよ、騙されたと思ってやってみりゃいい。

ポジティブな自己満で満たされる(笑)。

でも、ちょっとまじめに語ると

私、かなりポジティブな部類な気がしてる。

極端に言えば、こういうのも、些細な些細なきっかけに本当に過ぎないんだけど

私のおかげだと思ってるもの。

誰かが言い出さなきゃ、これって生まれなかったから。

言い出すだけでいい。

はい、やります!って言った奴、そのきっかけを作った奴、この場合で言うと僭越ながら私、

その声だけで(あとは人が力になってくれたり(その力が本当に凄いのだけど))、

歴史をちょっとだけ

作れる。

そういうの、些細なきっかけって本当に意義深いと思っていて

1mmくらいのズレが大きな1歩を生むんだよなぁと。

ま、そんなふうにむりやりこじつけて自分の存在意義を自分に認めさせるのに長けてる気がしなくもない。

そういうことは滅多に口に出さないし、出すとクソだと思って出さないけど。(笑

正確に言えば、恥ずかしいけれど、

場面が変わる時とかきっかけとか結構センシティブに感じるところがあって、

そのポイントポイントを押さえていくって感覚。

その分、人にも、いや成功できたのはあそこで君がああ言ったからでしょ、って思うこともあるし、

ゆのはなるべく伝えていきたいと思う。

それが本当に見えているのか、恩着せがましいのか、定かではないけどね。

でもそういうものを視野に入れてくぐってくぐって楽しくなる選択するのが醍醐味である。

だって私、ほとんど、(メンバーにもよるけど(笑)、)私が楽しければ楽しい場所にできる自信があるもの。

まぁ、つまるところ、

1.何か残るものを創るってことはあとからでもその恩恵を受けれて僕は嬉しい。(やって良かった!)

2.それでそれに関わる人達の人生に少し彩りを加えたとなると僕も嬉しい。

3.それらが生まれるのは、(社会的意義がどうかとか、自分が本当にやりたいことか、とかとか言うよりも)

単なる「はいやりましょ」くらいの些細なきっかけによってもたらされる。

(そう思うと、本当に些細な分かれ道なのだ)

4.些細な分かれ道に意識的かどうか。意識的だと日常がドラマティックだ。

別の話だけど、STOMP!を最初やりはじめるとき

「やり方がわからなくて躓いて、うーんなんだかなぁってつまらなくなる時が絶対来る、その時を乗り越えられるかどうかだ」って話をしたなぁ、と思い出した。

今も仕事でそうだけど、おいしい空気がきっと吸えると信じて

後輩見習って生きていこう。

あー、幸せでエキサイティングな1日でした。

私がいうのはもうおこがましいけど、STOMPをやっててくれて、残してくれて、活動してくれて

楽しんでくれて私は嬉しい。

まとまらないけどこんなもんで。