handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

「忘れない」ってなにさ。

震災から2年。

とはみんな言っているので、僕は僕の等身大の2年をちと振り返り。

忘れない、忘れない、といって、映像を引っ張りだしたりするのって、

殺人場面を忘れないようにね!ってみせつけられているような、そんなことに近いのじゃないかなぁ。

と思ったりもする。

忘れるわけなどないのだ。

だから「忘れるな」というのは、その渦中でなかった人たちに対して、忘れんなよ。ということだ。

でも「忘れない」とはどういうことだろう。

それは、次があったときに、そこで得たものを活かせるかどうか。

だと思う。それが忘れないことの証明であり、敬意であり、責任だ。

しかしながら、特にどこどこでこんな活動があって、とか

こういう社会の流れが、とかマクロな話は全部すっ飛ばす。

すべては個人レベルでできること、

個人レベルが動く、というスケールを大事にしたいからだ。

個人が出来ることへの参考、もしくは

何か情報共有の場になれば良い。

さて

この2年間私はどんなことをやったでしょう。

まず社会1年目を迎えて。

(震災から3ヶ月後)6月に最初のボランティアとして乗り込む。

Valuable things are difficult and taking time without exception

そこから間が空いて

3月(ちょうど1年前くらいですかね)に再びボランティアへ

Imagination

Twitterのログを見返す。

(最近DLできるようになったからね。)

気になったのはこれ。

ふむ。反省。俺がどう思うかなんて関係ないね、何かを読んで勇気、元気づけられる人がひとりでもいるなら、それはどんな綺麗な言葉でも、小綺麗な気に食わない言葉でも、どんなに汚い言葉でも、僕がどう思うかなんて関係ない。ただ、いたずらに不安にさせたりストレス負担かかるやつはやめてね。

あ、でもそれは、あくまで客観的に見た場合ね。自分もこの事態の一部だと考えると、やはり災害のコピー合戦(本当かどうかわからないし、嫌にみんなかっこよくなってるし)みたいな状況に疲れてしまっておるのが事実だからやっぱりそれはなんか嫌だと言ってもいいんだろうなと思う。

一時期、節電に対することや、日本頑張れ、みたいな、良い事言いたがる人たちがいっぱいいて

それでなんとなく良いことを言って終わるっていうの、あれ、がやっぱり、なんもできてないじゃんって思ったりした。

僕なんか2年前に、明るいうちにできること、本を読むこと、

ボランティアではなく、今できることをしっかりやろう、

と言っていたけど、ちゃんとできてるのかな?って。

震災が起きた時学生だった私は、今こそきちんと勉強する時だ、って思ったけど

その意志は今でも受け継がれているのか?

答えはどちらかといえばNOでしょう。

忘れない、忘れない、って単純に声にすることでなく、

被害の大きさとか、復興の進捗具合を確認するものではなく、

亡くなった人を自分の中に生き返らせる行為でもなく、

社会がどうのじゃなく

その時自分がした誓いを今でも「忘れずに」胸にありますか?

ということなのだと思う。

すべてはジブンゴトなのだ。

自分の抱えられる範囲で、まずは振り返ろうと。

取り急ぎここまで。ごめん、眠くなってしまったよ。