handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

difference

おっと、最後と言っていたのに

考えてたことがまた1個掘りでてきました。

ごめんなさいね。

少々お付き合いください。(笑)

人は、人と人が子細に違うというということをとかく忘れがちである。

私最近、人と人との些細な違いが面白くて、よく聞くんだけども

人がなにかを表現することって、少なからずほとんど人それぞれ違うと思う。

なぜその表現が出てきたのか、なんて絶対違う。

その人特有の過去から発せられたものだったり

その人の環境がそうさせたものだったり。

例を挙げましょう。

北海道行ってきた!楽しかった!という人を見て、

あぁ楽しかったんだねぇ(もわもわもわ)

と、想像して終わってしまうことがよくあるということ。

何が楽しかったのか、どう楽しかったのか、どんな心持ちだったのか

とかそういうことを聞いていくと、全然自分が考えていた「楽しさ」のニュアンスと

意味が違っていたりして、面白いということ。

今日着てた服が、なんでそれを選んだのか

どういう気分で、どう見せたいと思って、その服にはどんな過去があって、選んだのか

そういうとこまで突っ込んでいくと(誰しもに突っ込むわけではない)

その人の過去の情報がわかったり、考え方の起源がわかって楽しいということ。

(でもね、そこまで聞くのもちょっと恥ずかしい場合もあるのですがね!)

とかく、そういう、細かなニュアンスの違いって絶対存在しているはずなんだけど

そういうのを、そういう差を確認せずに

自分が勝手に咀嚼して相手を補完してしまうことが、世の中には多いなぁと思う。

っていうのを、特に偉い人とか有名な人にしてしまいがちで

いや、この人はこんな風に考えているだろうな・・・とか

いや、それだけじゃなく、好きな人へもそうかもしれない

(近寄りたくても)近寄りがたい人には

こんなこと思ってるだろうな・・・とか

勝手に決めつけてしまうことが多い。

(もしくは、勝手にイメージ像を膨らませすぎて、結局うまく行かないなんてのもよくある話)

そうじゃなくて、先入観も、イメージも、なしでゼロで

(いいんだよ、別に人のことなんて、人の環境なんて、人の立場なんて、他人が何も言わずに気持ちがわかるわけがないのだから)

よく知っている言葉でも

「それをどういう意味で使っているのか?」という視点はとても大事で

何かをちゃんと知ることだったり、深掘りしたり、面白くしたりするときには大事なことなんだなぁと。

人って本当に子細に違うんですよ。

同じ言葉発してても、ニュアンスが微妙に異なる。

そのニュアンスは、イントネーションに現れるかもしれない、声量に現れるかもしれない、顔に現れるかもしれない、仕草に現れるかもしれない、服に現れるかもしれない、間に現れるかもしれない、

いや、それらすべてに恐らく現れているのでしょう。

そういう情報量はやはり、会って話す>電話で話す>文字で話す

だと思うんだよね。

会ってる情報量というのは、すごくいっぱいである。

(そう思うとやっぱり会うというものもいいなぁと思える。

その人から発するメッセージを全身でこれでもかっ!って受けられるんですもの。)

話が逸れてしまいましたが、つまりそういうこと。

人と人って本当に異なるから、その異なりが

自分と違くて、相手には相手の論理が(ある場合も)あって、

そういうのを聞いているのが面白いのです、最近。

この人はどういう価値観なんだろうか、とか。

僕はこう思っているけど、違うかな?とか。

ひとつひとつのすり合わせの作業はとても楽しい。

それが人間と人間の関係の醍醐味の一つかもしれぬ。

というお話。

2012年はちゃんとした更新はこれで最後になるかもしれません。

1年間温かく見守ってくださり、ありがとうございました。

また2013年も、厄年は終えましたので(笑)

blogで思いつくままに、書いていきたいと思います。

どうかまたフラと立ち寄り、フラとコメントを残してくださったり

何気に見てるよ・・・!!とか言っていただけると私が喜びます(笑)

それでは、良いお年をお過ごしください。

私は世界遺産白川郷にて年を迎える予定です。今年はね。

囲炉裏を囲んでね。

ではでは。また。