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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

守破離

さてさて、ここ最近で考えたことをひとつずつ吐き出していこうと思う。

畢竟、自分と同じような環境とか経験とかをした人でないと

その感覚とかわからなかったり共感できないことって多いと思う。

例えて言うなら、失恋したことのない人に

振られた友人の気持ちがわかるのかよ?ってこと。

たとえが恋愛のことになってしまって、わかりにくくなってしまったけど。

結局は、そこの環境と感覚を肌で感じてわかっている人じゃないと

そこにいる人達の機微とか感覚をわかることは難しいのではないかと思う。

そういう意味では例えば、地元のしきたりだったり

風習だったり、物の考え方だったり、というのはそこで育った人の方が確実に強い。

(例えば、京都なんかがそういった傾向が強いみたいだけど・・・。嫁ぐのは大変だそうなのでよしたほうが良いとか・・・(笑)あくまで聞いた話ですが)

何に、応用して言いたいかというと、

例えば貧困の国だとかいっているところからは、解決策って(究極的に、で乱暴な言い方かもしれないけど)

(機会の平等と言うよりも)子供を何人か引きぬいて、勉強をうんとしっかりさせることで

その貧困とかに対する考えを充分深めて、変えていこうと思える人材を作ることじゃないかと思う。

そこにいる人に、世界の幅と可能性をきちんと示すこと。

希望を教えることだと思う。

それは外部的な援助ではなく、たった一人を育てることによって、そこの地域全体が希望を持てるように。

あ、隣の家の○○くんが、ハーバード行ったらしい。とか。

(まぁ人材がそのとおり育っていくのか・・・とかというところで疑問もありますが)

でも結局、その場から、トップを育てて引っ張っていく人材をつくることがChangeまでに

大事なことだと思う。

もちろん、じゃあ周りの援助はいらないかというとそうではなくて。

どこの道を行けばいいか、どんなことを勉強すればいいか、ディレクションの役目を担えばいい。

(日本は全然そういう環境下にはいると思うのだけど・・・)

んー、って考えたら、ダメね。

うまくまとまってませんでした(笑)

論理的じゃあなくなっちゃうなぁ。

でもともかく、同じような環境とかそこの土地柄とか機微を知っている人じゃないと

そこの世界を変えていくってことは無理だと思うのね。

あ、「守破離」かもしれないね。

勘三郎さんのエピソード

「型のある人が型を破ることを型破りといい、型のない人が型を破ることを型無しという」

そこに通ずるのかもしれない。

まずその型を知ること。そこからイノベーションが起こされる。

そう考えてた最近。

一回型にはまってみんと。