handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

すごく失礼な事かもしれないけど今日頭に浮かんだこと。

私たまに車がそれなりに減速しながらやってくる横断歩道を渡りながら

あぁ、このままひかれないかな…

と思ったりする。

それで亡くなったりとか、大変な目にあった方からすればすごい失礼でお前なめんなよ

レベルの話であるとは思うのだけど

それでもなんとなくそういう考えが浮かんでしまって

じゃその場合

(死んだら考えることなどないので)

足がなくなったらどうだろうか、とぼんやり考える。

それなりに手術代がかかってお見舞いにそれなりに人が来てくれて、元気なように振る舞うだろう。

そこで僕はひとり、歩きたい…!と言って涙するんだろうか。

最近固執することも少ないのでまぁこれも人生だよね、って言っちゃうのだろうか。

確かに

車椅子になったりすれば、今までと同じようには移動できない。

(手は動いていてくれることに感謝するかも。何かものを書ければそれはある程度自由を感じられる気がする。)

親にも迷惑かけるだろう。

相手に迷惑かけたくないと恋人をつくらないこともあるかもしれない。

君がこんな重荷を背負うことはないとひとり(正確に言えば要所要所で人の手を借りながら)で生きていこうとするかもしれない。

例えばスポーツ選手だったなら

俺の夢が…!!!って言って大泣きできるんだろうけど、

今私はそんな状況になったら何かに対して泣けるほど大切なものはあるのか?

って考えてしまう。

と思ったら、何か大切なものを失くしているはずなのに、それに対して泣きたいほど悲しいとか、悔しいとか絶望を想像できないのもそれはそれでなんだか悲しいな

と思ってしまったのだよ。

実際になったら分からないけどね。

何かに感情的になったり、悲しくなったり

ということとはあまりそこまで縁がないように暮らしてきたんだけど

だからこそ結構、希求してる面もある。

そういうものを。

もしかしたら

そういうものは数が少ないのかもしれないけど、

そういうものを心から大切にできたらな、と。

なくなったら嫌だ…!!

と意識できるくらい。

できるうちに。

(※別にだからといってほとんどのものが要らないと思ってるわけじゃない)