「すべては想像力の問題なのだ」
「すべては想像力の問題なのだ。ぼくらの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。 In dreams begin the responsibilities.―まさにそのとおり。逆に言えば想像力の無いところに責任は生じないのかもしれない。」(海辺のカフカ/村上春樹)
さて、やっと書きます。
そして書いてしまいます。(30日までTOPを変えないつもりが、それよりも伝えたいことが出てきてしまった。)
先日、2泊4日で、岩手県は陸前高田の方でボランティア活動に参加させていただきました。
今回は、既に陸前高田で長いこと働いていらっしゃる先輩がいて、(4連休もあることだし)会いに行くのもいいだろう。と思って決行したボランティア。
ちなみにこれが前回のボランティアの感想
今回はなるべくなら全部自分で(そもそも行こうと思ったインセンティブはその"先輩"にあるのだけど)いろいろ手配して、なるべくなら周りの人を巻き込んで、そういったのっぴきならない状況というか
現状をみて少しでもなにか感じてもらえたらなと思って誘った。
細かいことを言えば、人を誘うっていうのもなかなか労力のいることで、どうにもならなかったりする
ってことを実感しました。でも、行きたいという気持ちはあったし、いくら俺が人に声をかけて断られようが、スルーされようが、今まで声をかけられていない人にとってはまず声も届いていないわけで、聞いてみたらなにか変わるかもしれないわけで。
そう信じて、ひとりひとり声をかけていった。(中には、Twitterとかで呼びかければ人がわんわん集まってくるそんな素敵な人もいるかもしれない。でも、僕の場合そうじゃない、少しでも可能性を見つけて、ちょっとでも行き得そうな人には声をかけさせてもらった。)
それで、どうにか4人ほど集まってくれた。1日だけの参加だったり、遅れて参加してくれたり
そこにお金も時間もかかるのに、だ。
まずそこに本当に感謝した。車の運転もそうだけどひとりではなかなか踏み出しづらいボランティアでもある、一緒についてきてくれる人のいるおかげで僕も前向きに参加ができたのだと思う。
さて、正直に誠実にそのことについて書いていけたらと思う。
まず大雑把に反省。
1、車の運転に関しても何に関してももっと「安全」に気を配るべき。気が緩んだ場面があった。自戒。
2、「知らない」ことで災害派遣等従事車両の申請も逃してしまった。(できてれば高速が無料だったのに)(これは済んだけど)「知らない」では済まされないし、「知らない」では人は救えない。
3、車の運転上手くなろう。うん。
では、本題に入ります。
道中(も体力的にアクシデント的にも大変だったのだが)の話はカットしておきます。(笑)
いろんな意味で良い経験はできました。会った時に話しましょう。
ボランティアのとこにフォーカスします。
震災から1年経ち、ボランティアで何を感じたか。なんて、もうそんな時期じゃない、ニーズもないと思うでしょうか。でも、僕の中では確実に前回(昨年6月)に活動した時よりか、違う何かを感じていました。
この2日間で、陸前高田には400名ほど、200名ほどの方々がボランティアに訪れていました。
私の感覚では「多いな」って感じです。(団体での参加が半数くらい)
聞いてみてもボランティアの数、陸前高田は多い方だそうです。(ボランティアセンターを閉鎖したところもあるらしいですしね。そんな影響でも陸前高田の方へ多くなるのかもしれません。)
活動として私がやったことと言えば、
田んぼの瓦礫の処理、と、海岸沿いの土嚢積みです。
陸前高田は全壊が多くほとんど流されてしまっており、(それでも瓦礫はまだまだ積まれているし、それでも大分処理されてきたほうではあるらしいのですが)建物がなくなっているなぁ。という印象。
後に気仙沼も訪れましたが、こちらは建物が残っており、一見「ひどい」という印象受ける。
活動しているときにはいろいろ考えます。
このボランティアのシステムのあり方とか(もっと効率良くできないのかなーとか)、初回って人は右も左もわからず大変だよなぁとか、もっと説明とかさくさくってできないのかなぁとか、ここにブルドーザー持ってきちゃえばええじゃんとか、これずっとやってたら10年くらいかかるんじゃないの・・・?とか
先のことを考えてボランティアしようよ(「ただ」「今」活動するんじゃなくて、先に目指す方向決めようよ・・・)、とか。
(活動について言えば、こうやって今掘り出している中にも人の生活があって、これは何に使われていたんだろう・・・とか。こういうことは考えれば考えるほど考えてしまって手が動かなくなっていきます。
だからなるべく考えず、今の活動をしようとしました。)
とかとかを逡巡することはあった。
でも、やりながら思った。
いや、そんなことはここでずっとボランティアされていたり、携わっていたりする人はとうに感じていることなのだろう。と。
わかっているけど、やりきれない、想いとか、現状があっての今なんだろうと。
もしかしたら、土地との関係があるかもしれない、自治体との折衝とかあるのかもしれない、その土地の人が未だうまく考えることができていないのかもしれない。
そう考えた時にこの、いちボランティアがふらっときて、あーすりゃいい、こーすりゃいい、なんていうのはきっとごく控えめに言ってひな鳥みたいな意味しかもたないのだろうと思う。
「じゃあ、やれるの?、やってくれるの?」って聞かれたら、言葉に詰まるだろう。
多分ほとんどの人がそうだ。
そこに携わっている、命を預けてがんばっている、(もちろん頭のいい)人たちが、そうしてくれというのなら、それは間違っていなく、そうするべきなのだと思った。
先のことをどうのこうのよりも、まず今やるべきことをやることが(それは、今、単なる感情的な解決にしかならないかもしれなくても)やるべきことなのだろうと思う。
それにね、途方にくれそうなことでも、毎回人が来て(今回は大体半数が初めて活動されたりする人だったかな)活動していくだけで、それって長い目でみて復興につながっていくと思うのだよね。
そこで活動することで、少なからずその街を知るし、その街を好きになる。
じゃあ何年後でもいい。また遊びに来ようかなって、知らない街よりかは思える。
ボランティアに関わったのなら、「あそこの土地私もちょっと綺麗にしたんだよね」って友達・彼氏・彼女・子供・親に自慢できる時がやってくるかもしれない。
「この牡蠣の養殖のやつ綺麗にしたなー私もこれに携わってるってことよね」って言えるかもしれない。
そういうことが実は至極大事なのではないかと思う。
もちろん目下どういうことをやるのが一番いいのかも考えているだろうけど、まずは結果よりもそこで愛をもってもらえたら息の長い復興につながるってことだよなぁと思ったのでした。
知ることで他人じゃなくなるっていうかな。
前回のボランティアでは、全然整理ができてなくて、本当にただただやる。って感じだったけど
今回は(自分が)落ち着いていろいろなことを感じるようになった気がする。
(社会人1年が過ぎるというのもあるかもしれないし、4連休中の3日を使うってことで余裕があったのかもしれない)
そして、だ。
なぜ僕が冒頭に村上春樹さんをあげたか。
(もちろん今読んでいるからといっても間違いではない)
すべては想像力の問題なのだ。
この言葉が響いてきた。
僕が働くようになって、いろいろなことに少しづつ気づいたり、想像ができるようになってくる、とは
昔に言ったことがあるかもしれないけど。
長く生きていくと経験をしていくと、想像ができるようになる。
例えば、今回のおかげで、0から人を呼んでボランティアへ行き(飴を募集(ありがとうございました!)し)活動し帰ってくることが、どういうことか、想像ができるようになったし、どれほどのコスト、時間、精神的負担、肉体的負担がかかったり、(もちろん良いこともある)人に会えたり、どれだけかワクワクすることに出会えるかとか想像ができるようになる。
ともすれば、人が何かしようとするときの大変さがわかったりもするし、なるべくなら協力してあげたいと思う。それは、いろんな事を経験した上でしか有り得ない。
まるっきり想像で想像はできない。
話を戻そう。
自分のしたこと、しようとしていること、目の前の出来事、ここに想像が伴って、責任とか良いとか悪いとかが生まれる。
反省にも上げたけど、僕の運転がもっともっと上手くなかったら、誰かを怪我させているかもしれない
誰かを怪我させてしまったら、その誰かのために誰かが悲しむかもしれない。
それは連鎖のように悲しみを生むかもしれない。あくまで想像だ。
でもだからこそ、絶対に怪我させちゃならない。
安全で帰ってこなくちゃならない。と責任が生まれるのだ。
想像ができないのに人を守れるわけがない。
想像力の問題だ。
(実のところ気を回せるか回せないかもこの想像力の問題だと思う。)
この想像力。海辺のカフカを読んだから・・・ではないけど
昨年の6月のボランティアより少しはリアリティを持って想像するようになった。
前回は例え、ひっくり返った建物を見たって、リアリティがなく、ファンタジーのような世界に入ったかのような感じだったのだが、今回は(今回も異国の地にいるような感じはあったけど)それが"その時に"、"ここで"起こったのだ。と思うと(それこそ想像できたものではないけど)処理しきれなくなる。
ましてや、僕はそこで生きている"大切な人"を想像する。
あぁ、恵まれていると思う。
今「どうもありがとう」と言いたくなる。(今回は我慢しておいた。)
でも、それが起きた時のことを想像したらどうだろう
かつ、僕がそこにいれなかったらどれだけ・・・表せない("例えば")空虚なんだろう。
その人の存在が見つからなかったら、うまくも悲しめない。
その人の存在自体が否定されたかと、
今その人が生きているのは自分の頭の中だけかと
本当にその人はいてくれたのかと
かろうじて写真はあったとしても、本当にそれは本当のことだったのかなと
もちろん、忘れることで死なせてはならないけど
そういう巨大な曖昧な思念に包み込まれる。
あくまで、想像だ。想像だけで、申し訳ない。
でも僕はそういうことを考えた。
なぜ今回はそんなことを思えたのだろう。
今まで考えたことのない"大切な人"が頭に浮かんだから?
それともその想像力が芽生えたから?
どちらにせよ、そういう人が頭に浮かび、そういう想像ができ、少しでも悲しいとか
空虚だとか想像ができるおかげで、この世界を愛しく、楽しく、できることなら誠実に、生きようとも思う。そしてその大切な人の概念をちょっと緩めていろんな人を大切にできればいい。
先の話かもしれないけど。
とりあえず今の僕はこれくらい。(これくらいでもかなりの人間的進歩。)
こういう感情を知ったからこそ、今いる人へ、本当に勝手にいなくなるとかやめてよね
って心の底から思う。僕が困るのだ。
ということを考えた。
あぁ、なるほどぁ。
こういう感情か・・・と。
すべては想像力の問題なのだ。
うん。
そして、やっぱりその"先輩"はパワフルで(しっかりお話をさせていただいたことは今までないのだけど)出会えてよかったなーと思うし、行ってよかったなーと思うし、こうしてもう一回つながれてよかったなーと思う。
みなさんのお陰で飴もかなりたくさんいただきました、無事渡してきました。ありがとうございました。
そして、もう一度、一緒に付き合ってくれた方々に感謝。
まだまだ、考えていけたらなと思います。良いつながり方法を。
そして長々ありがとうございました。
経験は宝なり。
@陸前高田ボランティアセンター
余談ですが、その後のドライブは完全に私得で楽しかった(笑)。
たまにはこういうのもね・・・!