ちゃんと復活して書きます。
2011年いろいろなことがありました。
と、まとめるのは好きじゃないと前に話しました。
付き合うのが難しかったり、仕事が始まったり、朝起きるのが憂鬱で仕方がなかったり、心の底から笑う時がみつけられなかったり、心の底から感動ができなかったり、人と疎遠になったり、震災で涙を流したり、自分がわからなくなったり、わからないまま足を進めたり、それでも、仕事とか社会人とか、は否が応でもやってきたり、よく声が出て歌えたり、喜んでくれる人がいたり、メールに一喜一憂したり、一喜一憂するのが嫌だと情報を遮断したり、ひとりになりたいと思ったり、ひとりになりたくないと思ったり、もう別れることはないだろねと思ったり、何度でもヘマしたっていいさとは自分で思ったり、心の底から笑う自分に気づいたり、それが愛おしく思える時間だったり、愛おしさってなんだろうって考えたり、好きってなんだろうって考えたり、僕は何がしたいんだろうと考えたり、自己嫌悪に陥ったり、自分はくそだなーと思ったり、自分の感覚を過信したり、そんな自分の感覚が当てにならなかったり、罪悪感に苛まれたり、励ましてくれる人もいたり、落ち込んでいるときは一緒に下を向いてくれる人がいたり、あー楽しいと思える人がいたり、鍋がおいしかったり、嫌われたり、誤解されたり、祝われたり、わがままだったり、仮面をかぶったり、表面だけで付き合いしたり、内面が見せられなかったり、かっこつけたり、かっこ悪かったり、仕事の考え方がわからなかったり、上から目線でものを言ったり、すぐ「別れろー」とか言ったり、そんな簡単に「別れろー」とか言えないわとか思ったり、楽しかったり、自分しか頼れなくて不安になったり、憧れてる人と話したり、1年弱つながりが弱かったところがちょっとずつ繋がり始めたり、言ってることがひどかったり、喜んでくれる人がいたり、社会の構造に対して疑問視もしたり、納得もしたり、すげーズバズバ痛いとこつかれたり、自分の最低ギリギリラインは守ったり、背中に手を添えられる人でありたいと思った。
物語を進める。
見えないところから背中を押している。
最後には僕がいる、進もう。(と言いたい。)
誰かの背中を押す、いや、それ以上後ろに下がろうとする背中に手を添えられる人でありたい。
まだ30日、31日も残ってるから全然何が起こるかわからないけどねー。
ちゃんと見てるよ31日君。
2012年、キャッチコピーは「それ以上後ろに下がろうとする背中に手を添えられる人(でありたい)」
にしようかしら。
優秀に暮らしていこうとするよりも 君らしい不完全さを愛したい
マイナスからプラスへ 座標軸を渡って 無限の希望を愛を 夢を 奪いに行こう。