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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

愛することについて語るときに僕の語ること

僕は結構考えるたちだと思う。

愛情というものがあって、付き合っていくうちに「情」が生まれて

その「情」で付き合えるかといったら、僕はそりゃ無理だろうと答えるし

無理でありたい。

愛と情って似て非なるものだし、愛を持って(好きな)人と接していたいから。

情ならばそりゃもう多くの友人にしていることなのだから。

つまり愛している人と友人を同立には扱いたくないし、

なんなら友人と遊んでいても、好きな人に電話したくなりたいし、連絡をとりたくなりたい。

(するかどうかは別としても、「~たい」と思いたい。)

それで、友達にあいつは付き合い悪いなぁって嫌われるのなら本望だとも思う。

それだけ愛する人ができたのだから。(実際にそうなるかというのはわからないけど)

こういった所がすごく敏感で

例えば、友人とめちゃめちゃ楽しく遊んでいるところに彼女から電話がかかってきたとして

出れるのか?ってことと、そこで例えば彼女が苦しんでいるときに彼女のところにいってあげられるのか?

、「めんどくさいなぁ」という感情が少しでも生まれてしまわないか?ということを考える。

極端に言えば、彼女がもしかしたら死んでしまう状況になってしまった場合

僕は必死になってその子を助けようと全てを投げうってでも行動ができるのか?

と、毎度毎度考える。

ジョブズみたいに言えば、これが幾日もNOが続くようであれば何かを変える必要があるんだろう。)

そりゃあ大体の友人、他人でさえも自分の近くの人が亡くなるのは嫌だし

亡くならせないために動くだろう。

でも、自分が死んでもいいからこの人助けてよ!ってどれだけの人に言えるのだろう。

そして僕はその人が亡くなったときに悲しみに明け暮れるのだろうか。

あんまり周りの「死」というものにも直面したことがないからか、

「死」を特別視しないようにしているからか、

例え誰が死んでも(親でも兄弟でも)「多分泣かないだろうな」と思っている。(泣くことが悲しい悲しくないの基準ではないのだけど)

この泣かないだろう自分にも嫌気がさす。

(ただ死なれたらとても悲しいだろうなと想う人は1人いたかな。)

何も死ぬまでじゃなくてもいい。

例えばどうしようもならない物理的距離があったとき

僕はそこで例えば会社を辞めてでも一緒になる選択ができるのか、とか

はっきり言って、ここで「いや現実はねぇ」「仕事がねぇ」とか言い出すものなら、それくらいということなんだと思う。それほど「愛している人」は優先させたく思うし、そのような状況なら最善の策を思いつくように考えるだけだと思う。何年かかっても。そういうことを考える前に「別れる」って選択あるなら別れちゃえば。

先が見えない、から別れるんじゃない。

先が見えなくても一緒にいたい人ならいい。

むしろ一緒にいながらも先が見えない時なんて数多く現れてくる。(会社がいきなり倒産したとか、不慮の事故とか、家がなくなってしまったとか)

だから先なんて元々見えない。

見えない中でも"この人なら"と思える人がいいし

いくら周りのものがなくなったり、環境がひどい状況であっても

一緒に0から創っていける人を愛したいし、それが愛すべき人なのだと思う。

そういったことを"想定"して考える。

(逆に考えたら、今回の震災で結ばれた方々は強い結び付きがあるのかもしれないね。

そして、今回ので別れた方々ももちろんいるんじゃないかと思う。)

「彼氏・彼女・恋人だから」で、できることは限りある。

「愛しているから」でできることに限りはないのじゃないかな。

(これもあって僕は「彼女」という言葉はほとほと使わない。)

何を夢と理想を語っているか、この夢見る少女め、と思われるかもしれない。

そう思ってくれて結構。

数多くの人はそうやって「うまく」生きてる。

でも私の人生は1回しかないし、夢と理想で生きたい。

中途半端に満足した(気になった)ら多分そこで終わるんだと思う。

それ以上に、夢と理想に近づくことなんてできない。

私の人生は1回しかない。

逆から考えてみる。

どうも選ぶ立場(恋愛に選ぶも選ばれるもないのだけど)のような書き方に見えてしまっていたら、と思い、逆から考えてみる。

もちろんこういった考えを受け入れる覚悟がある。

今思えば(私が)振られた相手なんかは、

そこまで考えなくても自分とは合わないってこと(「恋人」ではない別の互いの適切な距離感のある場所があること)がわかっていたんだなぁと思うし、

なんなら3日間付き合って「別れて欲しい」と言われても別れるだろう。

(ちょっとは、え、早すぎないか!っとつっこむかもしれないけど(でもダメなものはダメなんだろうなって自分では思うだろう。))

だから、すごく夢と理想を求めてくれて構わない。

それが僕がたまに言う

「君は君でいいし、僕は僕でいい」という意味。

自分にとって悪い結果になっても、それはそれでいいのだと思う。

そういう相手の気持もわかるから。

僕はこういうことを毎度毎度考える。

その度、自分に嫌気がさしたりもする。

それで人と別れることもあるかもしれない。

その度に虚しさに襲われるし孤独を思うこともあるし、自分を信じられなくなることもある。

でもどこかで、そう(書いたようなことを)思える人がいることに気づくんじゃないかと思う。

(どこかにぽーんと「そう思える人」がいるわけじゃない。気づくか気づかないかの問題。だから漫然といきなり王子様が「やぁ」ってやってくるわけではない。「あぁこいつ王子っぽいぞ・・・」と気づくか気づかないか。)

そう思える人がいない限りは出会ってないだけじゃないの?と思うし

気づいてないだけじゃないの?と思う。(大体は前者の話をする。)

そして、そう思う限りは、虚しさに襲われることとも孤独を感じることとも自分を信じられなくなることとも真正面から戦わなくてはいけない。言うからにはそれくらいの覚悟で臨まないと筋が通らない。

そんなことを毎回毎回毎回考える。

そして私の人生は1回しかない。

愛することについて語るときに僕の語ること。