どうも。
これは早稲田祭ではないのだけどね(笑)。
同時開催な理工展ですね。
撮影が私だからUPしてるだけなのよ。
ていうか私撮るの下手だな!!(笑)
その昔、結構制作させてもらったやつ。
とは、置いておいて。
みなさまお疲れ様でした。
早稲田祭の映像はいつかどこかで流れることでしょう。
それも撮影私なのであまり構図的な期待はしちゃダメなんだと思います。(笑)
えーと、何が本題だっけな。
そう、ともかく打ち上げがしたいということと
早稲田祭って「好き確認」だと思う。早稲田祭っていう舞台で、屋台をやるなり踊るなり運営するなり企画するなりで、「一緒にいる人たちが好き」とか「踊るのって好き」とか「役に立つの好き!」とか「モノを売るの好き」とか自分の「好き!」を単純に追求できてそれを確認出来る場。
だからとことん「好き」にのめり込める場所なんだと思う。そこの本当に「好き」から始まることだってあるだろう。演劇目指すとか経営したいとか企画したい人といたいとか、そういう「好き」の種が植わる場所であるんだと思う。だから本当にとことん「好き」を追求して欲しい。そして、その顔は輝くのだ。
ふむ。ということ。
打ち上げというものに遠ざかってしまっているので
来年のチカン祭にでも出てやろうかと、目論んでしまっているわけですね。はい。(笑)
というのも他にも理由があって、踊りたいというのもどこかしらあるけど
それよりも団体というか人の集まりを確保したいというのが一番かも。
今回の震災のような時に、「○○しようよ!」
って声をかける場所がないと思って、なんならそういう事態にも
ここに連絡したら何かが動くかもっていう場が、人の集まり、団体が必要であることを実感したのです。
だからその手段としてまず踊り(その他も)という観点でモノを見てもいいんじゃないかと。
そして踊るならMGSあたりの曲を使いたいなと・・・(笑)
編集して冬までに完成させて振りを春までに完成させーの、人集めて9月にぼーんと!(笑)
んで有休とって心ゆくまで打ち上げと。・・・ただの道楽ですね。
でもそうじゃなくてそこまでが肝心だから。道楽はボーナスみたいなもの。
さて、えーと。
・・・でも自分だけ幸せになるなんて!とか言ってもさ、君がよく生きられないで他人を幸せになんかできないじゃない。まずは君が幸せになることが他人を幸せにする第一歩やーん
結局は正直に生きないと何も始まりませんし、終わりません。
強制終了シャットダウンがシステムの都合上できないなら
しかるべきことをしなくてはいけません。
でもそれで何もなくても、きっと受け入れなくてはいけないことですし、
第一、この今のような人生を今後50年間送るよりかはよっぽどマシです。
そんな器用に生きられないのです、私。
世の中の大半の人はうまく生きているし、システムがうまく回っているのだと思います。
だけど、私はそのとおり生きれないみたいです。
平穏無事な人生よりも、一回の本当に心のからの満足を追い求めてしまうみたいです。
どこまでも考えてしまいそうです。
遠距離だから別れる。って意味がわからない。例え(遠距離でもいつか(想像を超えた未来でも)一緒になれる時があると思うし)どちらかが先にこの世からいなくなったときに圧倒的な絶対的に埋められない距離は発生する。つまり、どうせ遠距離にもなる(時が来る)んだから。元々関係ないよ。
って今呟きました。
特に意味はないですが・・・!
一回付き合ったら3ヶ月くらいの節目でとりあえず一度別れてみるって文化があったらもうちょっとはなんかいろいろ楽なんじゃないかなぁと思ったりもする。
好きならまた付きあえばいいし。ねぇ。
と、数少ない大学の同期と話していたのでした。(笑)
脈絡の無い話でしたね。
つまりそういうことです。
でも慎ましく生きていかないと。
最近思った好きじゃない言葉:「予定調和」