handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

気付くとか気付かないとか気遣いとか

最近はよく更新してますね。

ちょっとした呟きでもツイッターで終わらせずこっちのメモ的活用をするようになりました。

メモ的活用をするとこっちにもちゃんと書かなきゃなってなります。

何より夜の思考整理に良いのです。

ここでも自分の表現をぬろろろーって出せるのは良いことだと思います。

さて呟きを加筆修正してお届けしますね。

電車でEVAカラオケルームオープン!!・・・って広告をみたのね・・・エヴァかーすごいな。(津田沼だけど。)確実に「残酷な~」歌っちゃうじゃん!!(笑)

・・・でも最近は、これを実現させた人達に想いを馳せるようになった。

(自分がそれに近い仕事をしているからその苦労がわかるようになったということなのだろう、端的に言えば。)

きっとこのカラオケルームを作った担当者は・・・

「主要なエヴァ購買層はよくカラオケを利用する購買層と一緒で!」とか「相乗効果が!」とかで

経営者やらを説得したんだろうなぁ・・・・・

はい。

とか言い出すと「私、飲食バイトしてたからぁ」って目の前の皿を片付けだすなんか鼻にかかる人みたいになるので以後言いません!笑

でもまぁそういうのって、言ってしまえば、

場の雰囲気を壊してまで片付け(自慢)を優先させてるってことだし

そんなの2流でしかない。

(結局はそんな風に私知ってますよ的な「アピール」するのは2流なんだ、と。それを披露するのにもタイミングってものがあるよね。って思う。)

だから、本当の本当の最上級の気遣いって気付けないものなのです。気付いたときには遠い昔レベル。例えば親なんかそんな感じだし。(気遣いってか愛だろうけど)

(・・・・っていうような話を誰かと昔したなぁ。…確か下駄っぱーずの後輩だったっけか。)

そうね。例えば。

先生に「友達を大事に!」って言われてじーん!として以後、友達の大事さとか偉大さに気づく。

でもその「友達を大事に!」って言い放った先生の凄さに気付くのは(きっともっと後だろうし、気づけないかもしれない)難しいのだ。という話。

関連するお話→

「見えない気遣い」もある。

うん。例えば。

いくら面白い話があっても相手が疲れて眠そうな時は話をせず寝かせてあげる。相手は私が面白い話をしたがったことなど知る由もない。けど本当は「話をしない」って気遣われてる。「疲れてそうだからやめとくね」って言われない限り絶対気付けない。そゆの。

(私がしたんじゃなくて単純な例としてね。)

そゆ見えない気遣いにも気付いて(至難のワザ!)褒めたいし感謝申し上げたい。でも、そゆ大事なものは気付かず目まぐるしいスピードで周りを駆け抜けていってるんでしょうね。しかし気付きたい!(笑)

でも、まず「気付けないことがある」って気付くことがスタートなんでしょうね。

ここから気付いていくのだ。

まぁ1年、2年くらい前から言ってて気付くようにはしてる(相手の本当に意識してないところを褒める!)けど、きっとまだ気付かずに見逃していることが数百件くらいあるのだろうね。

しかし、気付きたい。