handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

タイトルなんてなんでも良くて

ふむむ。

書きたいように書いていこう。

しかし、何でもオープンでいることは後にどこか生きづらくなる。

ということを最近気づいたような気がします。

てもぎりぎりな線を狙って(?)、いつもオープンでいたいです。

自分を嫌いにならない程度に。

さて、

本当に不思議なことでした。

いろいろ想うところはあるようなないような。

うん、こういう感覚初めてかも。

初めてをいっぱい知っていくんですね。

こんな感じもあるのかと。

だから生きていけるのだと。

まぁ・・・うん。

そう信じて生きていくしかありません。

(この記事読んでもさっぱりでしょうけど)

本当にすごくこの世に頭があがらないなーというかなんというか

もうわかりません。

でも、感謝感謝です。ありがとう、ありがとう。ありがとう。

なんか、たまに想ったことも140文字の連続で消化してしまうから

その消化を今一度ここで消化。

「ボランティアが「すごいねー」と思われるのが嫌だ」と言えども、すごいねと思われるという客観的事実は否定できない。と思う。僕はあまのじゃくだから。でもすごいね、もすごいねが嫌だ、も、なんか別にどうでもいいことなんだけどね

てかボランティアって泣いたりしちゃダメなのかな。確かに泣いてるだけでうじうじしてたら意味がないけど、泣きながらでも動いてたら許されるのかな。泣きたいから泣いてるんだって通じるのかなぁ。

そんな私は、今日3月11日の話(なんてことない、帰るのが大変だった的な話)を聞いているだけで、なんか泣きそうになったけど。別に、被害に遭われた方とかを思ってじゃなく。それ(地震がおこったという事実)がただ感情を直接襲ってきたからなんだけど。それは言葉にできないものなんだけど。

ふむ。

行こうかと思うのだけど、作業用の服とかゴーグルとかマスクとか宿泊費とか考えたら3万くらいいくんじゃない?って思って、3万つったら、復興に必要な国民の一人当たりの負担くらいあるんじゃないかって思ったのさ。

ん?じゃあそれ募金したほうが、いいんじゃない?って・・・。

でも、その場でのマンパワーが足りていなさそうなのも事実。

しかし、俺が社会人1年目を言い訳に、精神的、経済的、時間的、余裕がないのも事実。

タイミングが悪いとは言いたくないけど、せめて去年か来年だったらと思うのも事実。

すごく葛藤しているのです。

というのも、いくら払おうが、払わなかろうが、時間を使おうが、使わなかろうが、

心がふっ、て、「あ、行こう」って思わない限り、行動に出れないのだけどね。

それが来るのを待っている。

それはもしかしたら給料日の後にくるかもしれない。いつくるかわからないけど。

なんだか。