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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

「当時は銃と向き合っていたが、今はサッカーボールと向き合っている。こんなに素晴らしいことはない。」

「当時は銃と向き合っていたが、今はサッカーボールと向き合っている。こんなに素晴らしいことはない。」

ってテレビで取材されてた南アの人が言うてた。

確か、アパルトヘイトに対するソウエト蜂起での犠牲者の追悼だそうだ。(違ったらごめんなさい、詳しくないので・・・)

なんだかこの言葉を聴いて少し安心できた。

やっぱり銃よりサッカーボールが良いんだよな、って確認できた。

それは現地で経験している人も同様に持つ価値観なんだよなって。

何が良いんだか、悪いんだか、はっきりとはわからなくなってきているので、こういうことが聞けると良かったと思える。

途上国は先進国の援助なんか必要としてない、なんてことを聞くものだから、じゃ結局はこのままでみんな満足してんの?とか思っちゃう。

今を生きることに必死すぎて、わからないんだろう。

先進国の援助なんて金持ちの道楽に見えてくるのだろうか。

援助も結局は自分達になんの意味ももたらさないからそう言うのだろうか。

結局は政府とか権力者に奪われてしまうからそう言うのだろうか。

そもそも何が満足いく生活なのか、描けているのだろうか。

日本にいる僕らの隣に宇宙人が来て「おまえら不幸だから援助してやるよ」って言われてもピンとこないだろう、それと一緒なのだろうか。

今の生活に、ちょっと待てよ・・・?と思えているのだろうか。

でもどうにもできないから今の生活なのだろうか。

疑問ばっかりだな。

でも、やっぱり銃とかがいらない生活が望ましいことはわかってるはず。

病気とか治安とかもなければ、良ければ、現地の人にとっても、良い「はず」だ。

こういう話の壁に自分自身穴を開けにいっている自分が、変えられたなと思う。元から人から影響を受けやすい体質なので、それがあるだろうけど。ともかく、いつかは考えなきゃいけないと思っていたことなのでそのタイミングが思ったより早かっただけのことなのだろう。

と、そのタイミングを与えてくれた人に感謝。

と、だからさ、マザーハウスにしてもフェアトレードとか言う人とか社会企業家とか言っちゃう人でも、まぁともかくは悪い方向に向かおうとはしてないんだと思う。(何をどういう風に目指しているのかは別としても)

(自分が何もしてないからほんと何も言えないんだけど、一市民が感じることとして)

でも何かひっかかってしまうのは、そこで満足はしてませんよね?ってこと。どう金が使われてて、どういう風に発展させるのか、大丈夫ですよね?ってこと。結局は発展させるまでに行き着かなかったり、途中で搾取されたりしては残念である。

(裸でも生きるを読んで思うのだけど)

そして、そういう現場があること、いとも簡単に裏切りだとか、持ち逃げだとかをされてしまう現状をわかってますよね?ってこと。

だからといってやめろとか言ってるわけでもなく、(方向的には間違っているわけじゃないと思う)そこをわかった上での活動ですよね。ってことなのだば。

(わかってるよっ!って声が聴こえてきそうだ)

わかった上ならいいんだ。(と僕は思う)

でも、そういうのも一緒に伝えるといいと思う。良いところばっかり言わないで欲しいなぁと思う。どや顔されてもなぁって「私、世界のために頑張ってるでしょ?!」って。どや顔されるとわかってないんじゃないかって思っちゃうが。

でもわかった上ならいいんだ。(と僕は思う)

アプローチの方法は人それぞれでも。(それなりの論理があるだろうし)

んで、今僕らにできることは小さなことだろうからまずはそこから。

こんなことばっかり言ってるだけではなんにもならない。

もっと根本を解決しなきゃといってもそんなスーパーマンみたいな力を持ってない限り今できることをしなくちゃ。

方向的に間違ってない。でも、現状を知ること。

僕も近いうちいろんな活動ができるようになりたいですな。

例え国境なき医師団みたいな活動でなくても、何かを変えられる、ちょっとずつでも、そんな活動を。

そういうのの小さな一歩がstompとか仕事とかでちょっと繋がったりもできる。

それで意味を感じることができれば、意味があるのだ。どんなに小さくてもね。きっと。

別に善とかじゃなくて。悪とかじゃなくて。

やりたいからやる。その意志で。

(まだまだ色んなものを見て感じる必要があるなぁ、だからちょっとなんか言い過ぎたかも、ごめんなさい。)