outputが少ないっすな。
就活があるとはいえ、自分自身、日々あまり考え事をしていない気がします。
なので、なにとなく書く。
早稲田周辺に住んでいたころ、すぐ目の前に大きな道路があったせいで
車の音が大きく寝るのに苦労したことがあった。
ほかにも、なぜか音のカチッカチッ鳴る壁掛け時計を買ってしまったものだからその音が気になって寝れないってこともあった。
そーゆーときはipodの音楽を聴くとかいう方法もあるのだけど
結局音楽の音も気になって、タイマー切れたなとか思っちゃったりして気になって寝れないってこともあった。
でも、数日したら関係なく寝られるようになった。
もちろん「慣れ」というものがあると思うのだけど
意識して一番効果があったのは、「自分の範囲を拡げる」ことだ。
HUNTER×HUNTERでいうところの円みたいな作業。
自分という感覚を拡げるのだ。
ちょっと何言ってるかわからないかもしれないが(笑)
例えば、カチカチ鳴る時計があるとする。
いつもなら、「あー気になるなぁ!」と思いながら寝付こうとする。
耳をふさごうとする。
それは時計は、僕ではない何かほかの物体だから。
でもふと考えを変えて、「時計も自分の一部」だと思うようにした。
むしろ自分が寝ている部屋自体を自分だと思うようにした。
このカチカチ鳴る音を含めて自分なんだと。
そーするとなぜだかその音が愛らしくなっていく。
いや、ほんとに(笑)
気にならなくなっていくんだよね。
道路の音だってそう、ブォーンって音があぁ自分の範囲の中の出来事なんだなって思うと特に気にならない。
この感覚が分かる人だけの話かもしれないけど。
それ以来、いびきのある場所でも寝られるようになった自分だった。
ぜひ、騒音に悩んでいる方はお試しあれ。
でね、多分この自分の感覚の範囲を拡げるっって感覚は愛することと一緒だと思う。
人を愛するのね。
好きって多分他人どまりなんだが、愛すってのは自分の一部ってことなんじゃないかと思ったのさ。
そこで初めて、なるほど愛すってこういう感覚かって理解できた。
少なくとも僕は今のところそう受け止めてます。
共有ってことも、同じ感覚を味わいたい→一つになろうとする作業、でしょ。
例えば、何かに感動する。びっくりする。悲しくなる。うれしくなる。
すると、誰かに伝えたくなる。まず、自分に報告するでしょ。
感動を味わいたいのは自分で、余すところなく自分に伝えたくて。
すると、これは自分の一部でもある“あの人”(任意の誰か)にも伝えようって気持ちが働く気がするのよね。
他人も含めて自分なんですよねー。っと思った。
だから、いつでも知っていようとか気になるとかそんなんじゃなくて
(足のスネなんかが毎日気になる人はいないよね、でも何かあればスネにも喜んでもらいたいよね!みたいな感覚(笑)、ほら、スネぶつけたときにすりすりーってスネを保護するでしょ。それはきっと愛してる人が何かにぶつかったときにどうにかしてあげたい(すりすりする(笑))と思う感覚と同じなんじゃないかと。)
自分の一部なんだなーと思う感覚が大事なんですな。
ということを最近知りました。
そうすればね、煩わしく何かを考えなきゃいけないってことはなくなるんですよね。もう自分のことなんだから。
まぁ別れたらそこまでかもしれませんけど。
連絡入れたいとき入れればいいし、入れたいと特に思わなきゃそれでいいし。スネは今日も生きてるし。うむ。
21歳にして知ることはたくさんあります。
まだまだ知らない“感覚”だけでもたくさんあるでしょう。
おかげで、まだまだ俺は伸びていけそうです。
人生知らないことがたくさん。
その分だけ僕は魅力的になりますでしょう。うむ。
礼を言う。俺はまだまだ強くなれる。by ゾロ
上がまだまだあるなーとわくわくした時でした。
うむ。今日も生きていきます。