DIESEL行くと0円Tシャツもらえるらしいよ。
というわけで、メルマガ登録して、近日中に行きたいと思います。(笑)
よく知らないけどね、DIESEL(笑)
もらえるものは、もらう・・・。
まぁこうやってマーケの罠にはまっていくんでしょうけど。
まぁいいや、
最近blogのアウトプットが減ってるので書きますとも。
まず、mixiとかから距離を置くようにしました。
相手の反応気にしすぎて、自分のことがしっかりできなくなるのは避けたいので、あんまり発信しないようにします。
こっちはコメントもあんまりないし、自由なので発信しつづけます。
あとはtwitterで呟くぐらいです。
mixiはあまりにもみんなor特定の誰かに伝えたいときだけしか使いません。
好きにならなきゃ 楽だったのに
とかね。
これ、今日のOG訪問で気になった広告コピーなんだけどね。
その通りですよね。うん。まぁいいや。
で、もっと気になったのが自分の軸です。
何がやりたいのか?ってこと。
人に伝えることがしたいなと思っていて・・・
なぜかというと
人に伝える=メディア(媒体)の発生=自分の関わったモノが残る=相手の心に(多かれ少なかれ)残る=自分の存在意義がある
という図です。
人に伝えるという点で答えがないから、俺の伝え方が僕が作った「モノ」なんだな。
だったら、メーカーでも同じじゃん?って思うかもだが、
メーカーは絶対数が限られている気がする。それに興味ない人を引っ張って来れない。
だから、伝えることで、限られた範囲ではなく多くの人が幸せになること=多くの人に伝える
ってなる。
なぜ多くの人に伝えたいかと言えば、単純に一人よりも二人幸せにしたほうが、俺が幸せだからだ。
でも、絶対数が限られているっていうのは、マスコミでも同じじゃないかと思う。新聞読まない人、電車使わない人に、新聞とか交通広告が届くことはない。
だから、幅広く携われたらいい。どのメディアでやるかが問題ではなく、伝えたい人に伝えられるかどうかが広告じゃん。
だから、幅広く扱える会社が良いのだと思う。
だから、ネット広告に興味ないのかなぁ・・・
でも、交通広告には興味あるんだよな・・・同じく限られたメディアだと思うのに。
なんでだろう。うーん、ネットよりも刺激があるからかな。
モノがあると、刺激が強いと思うんだよね。
あと、偶然性が高い。
ネットは、そのページに用がある人しか拾えないじゃん。(まぁ逆に考えればターゲット設定ができて良いんだけど)
でも、潜在的に必要な人へはアプローチできない。
交通はここが強いと思う。そりゃ、電車とか使う人に限られるから絶対数は多くないかもしれないけど、興味のない人も半ば強引に見せることが出来るから。「気付かせる」っていう面では結構強いかな?
第一ネットはどこよりも刺激がないと思う。広告の信用もあまりない実感はする。先を見たら、出てくるのかねぇ・・・。
でもそれも、one of themで、手段にしかならないと思う。というか手段で使いたい。
・・・なるほど、だから交通には興味があるのか。
興味ある人はネットで見ればいい、潜在的なマーケット開拓はOOHとかテレビのふとした情報とかに隠れてるの・・・か・・・ね・・・。
んで、やっぱりそれなりの規模がないと多くの人には伝わらない。
だからそれなりの規模感は欲しい。
小さくても、そのシェアが高ければ、それだけ人に伝わるということだからそれはそれでありだと思う。
ただ、大きすぎるのは・・・、自分のやりがいをもてるのか?
歯車にならないか?仕事に責任を持って果たせるか?
うーん、普通より少し大きいぐらいがいいかな。
自由に動けるし、放置プレイでもないぐらいが良いかも。
うーん・・・、なんで?
自己責任で仕事がしたいから。
いろんなことを知ることで成長したいから。
知らないことを聞きまくって食いっぱぐれないようにしたいから。
会社に頼りたくないから。
○○の凄い人どまりになりたくないから。
ちゃんと自分の名前で勝負できるように。
能力をつけたいんだな。
自分の力を伸ばしたいから。
けれども、みんなともやっていきたい。
これが理由かな。
なんで?
どこでも勝負できるように。
仕事に困らないように。
子供に胸を張れるように。
将来勝負ができるように。
勉強ですよね。
まぁ、話を軸に戻すと
あとはテレビだっていいじゃんってなる
テレビだって良いのだ。
思ったんだけど、例えば空気清浄機があるとする。
相手は10人いるとする。
(ほしがっている人は5人くらいだとする)
メーカーは、その5人を相手にして売る。
ネット(のように限られた)広告は、5人の他に空気をきれいにしたい2人を相手にし空気清浄機を紹介する。
広告は、そのほかにも花粉症に苦しんでいるけど対策の見つからない2人に空気清浄機を紹介する。
テレビは10人に対して空気清浄機をそもそもつくる。10人をその気にさせるって感じかな。
そんなイメージだな(ちょとぼんやりしてる)
テレビは、伝えるものそもそもを創れるので、やりがいはあるだろうな。でも、テレビ見ない人にはアプローチできない。
想いは伝わらなきゃ意味がない。
だからテレビ自体見させる工夫も必要。
メーカーはここを広告会社に任せているわけね。
テレビは自分たちでかんばるしかないのか。NHKを見させる工夫とかね。
じゃあ、
・モノが(人の心に)残る
・それで<多くの、もしくは潜在的な>人が幸せ、もしくは問題解決する、良い方向に変化する
(なんで?これは経験知かな。人が変わるとき、自分が変わるときって目からうろこのような感覚で、好きなんだよな、うん、きっとそれだ。そして、がんばる姿が好きだからだ。変わったらそれに向かって一直線にがんばるじゃん?それが好きなんだ。俺も向かっていくのが好きなんだ。それは今までの活動からでも分かる。がんばる姿が好きだから、伝えることによって、みんなそうなって欲しいんだ。そんなメッセージを(価格でもメッセージのひとつ!)いっぱい発信できる広告と、メッセージごと「あ、そういう見方があるのか」と、丸々工夫できるテレビがあるそれだけだ!)
(どれも同じ意味だけど)
つまり
・自分がいた意味がある
が最低限満たされればいいのか?俺は?
だって、せっかくの人生一人で生きたいと思わないし。
他人の心で生きて、忘れられたくないもんね。
生きた証を残したいのだ。
そして、みんながんばる姿が好きなんだ。
だから、おなか空いた人に魚を渡すんじゃなく、釣り方を教えてあげるんだ、案内板になるんだ。(これってS発言?(笑))
もっと良い世の中になるとか、そんなんじゃない。
俺が、みんながんばる姿が好きだから。みんながんばらせる。
だから、情報を提供する!それだけ!(笑)
時に自分がメディアになる、だからSTOMPもやる、下駄の踊りで好き勝手やる。それはメッセージなんだ。うん。
でも、がんばるって我慢することじゃない。夢中になること。
だから加えて、それを高次元で実現できる環境と、自分の存在意義を確かめられる裁量が必要。
・チームで活動する(一人の力の弱さは知っているので・・・)
・任される、任され過ぎない、環境(規模感、社風)も必要。
と、そんな感じかなぁ
ごっちゃごちゃだけど、書きながら考えていたから・・・。
うん、そんな感じ。また今日も一歩深くいった気がする。