何かをやらせるには何か別のことをやらせること。
ランディ・パウシュさんがそう言ってました。
Head fake(頭のフェイント)
ゲームのように勉強したり、スポーツを通じて人生のなんたるかを感じ、音楽を聴いて感慨にふけったり、映画を見てこれってこういうことかなと解釈してみたり。
思えば、そんな風に世界はできている気がします。
これはなんだか僕の頭にちらちらとよく浮かんでくる言葉なんですが
「大切なのは'今'じゃない」
ということ。
これを通じて、僕が何を知るか。そしてそれが今後点と点を結ぶように繋がれていくことが大切なんです。
先を見て、この経験がいつか繋がるんじゃないだろうかって思いながら今日、点をうっていくことがだいじ。なのです。
また経験つながりで思い出しちゃったので書きますが
「経験とは欲しかったものが手に入らなかったときに手に入るもの」
という言葉があるらしい。
これもhead fakeじゃない?
真に追求するものが得られないということが経験として得られる。
そんな経験をしながら僕らは何かを学ぶ。
欲しいものがすんなり手に入ったとき、僕らは何かを学ぶでしょうか。
おそらく記憶に残らないでしょう。
だとしたら無限につながる可能性のある点をうてたその経験はなによりも代えがたし。