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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

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苦労より楽しさを伝いとこう!まつりだから!!!

早稲田祭2009が無事に終わりました。

やっぱ敬語はやめ。

終えてから、そろそろ1週間経つ。この記事書くのに2日以上かかっちまった。

企画から始めたstomp!も体制から曲から決めた下駄っぱーずも(早稲田祭)終わった。

stompが多くなるかもしれないけど勘弁。

苦労・・・は、いいや(笑)

ともかくもこの想いは去年の1月からでstompは今年の3月から。

それがようやっと人を巻き込めて(感動させられたかどうかは知らないが)、日の目を浴びれたということ。

それがまぎれもなく事実。

こんなことがあった、あんなことがあったなんて書き綴っても良いのだけどそれは身の上話。やめときます。僕の感情の動きだけ書きます。

今振り返れば苦労だったかもしれないけど、当時はとりあえずどうにかしなきゃいけないって思いながら動いていたから、あんまり苦労だと思わなかった。自分が自分に課した課題を達成する、そんな責任感で俺は動いていたんだと思う。

早稲田祭終わって2日目の朝にいろいろ思い返したら、俺がんばったな・・・ってなんか思った。

それまで、がんばってるなんて自分で思ったことほとんどなかった。

たぶん、自分自身なにかに向かえていることが楽しいのだと思う。

目標に向かって、戦略とか方法とかを考えて実践するのが好きなんだと思う。「じゃあどうしようか、」ってシチュエーションが一番好き。

でもその分詰めが甘いところがある。これイケるなって思ったら力を抜いてしまうクセ(笑)

ゲームでもラスボス前にめっちゃレベル上げていつでもイケるわ!って思ったらラスボス倒せることが間違いないから興味が薄れていく。倒さないとわからないのにね。(あれ?倒したっけ?)

きっと、目標を達成するのが好きなんじゃなくて【目標に向かえている】ことが一番好きなんだと思う。そんな自分を発見した。

ちょっと逸れた。

思いついたことを書き綴るだけだから、構造気にしない。

ごめんなさい。

中高陸上部で部長・WIFでソーラン節のリーダー・WIFでステージ統括

とやってきた俺がどこまで挑戦できるかと思ってやった企画。

正直言って

そのころまでは、中学の部長の時はみんなが陸上部を好きになってすんごい楽しい時間を過ごせたし、ソーラン節のリーダーでも国を超えて良いチームを創れたって自負があった。

きっと自分は上の立場に立つのが好きなんだろうなぁ、そしてその素質があるんじゃないかと思いながら、じゃあ大学3年ではどうしようか、それを確かめにいくか!と思って始めたSTOMP!

想いを残していくことができたらどれだけ楽しいのだろうかって始めたSTOMP。

(決して虚無感からなんかじゃないのだが・・・(笑))

WIFの代表にも(結果的に)なれなかったし、下駄っぱーずの代表にも(結果的に)なれなかったし。

じゃーどうしようかって。何か始めるしかないか・・・って始めた企画。

何かの中心にならなくてはいけないって強迫観念もあった。

別に普通に過ごすこともできたかもしれないけど、そんなことが【できなかった】のだ。

どこかの自分が自分に期待を寄せているのがわかったから。

何かを創ってみろやって自分に脅されてました。

そうして、始めたSTOMP。

はじめてみたら、自分の何にもできない加減に辟易した。

自分が上に立ったら良い団体になるに違いないって、自分の力を確かめに登ったはずだったのに、そんなものはなかった。

まず、人。

俺一人ががんばるには限界があった。どれだけ人がありがたく感じたか。

webひとつ作ってもらえることがどれだけありがたいのか。

スケジュール調整してくれることがどれだけありがたいのか。

何をすればいいか一緒に考えようってことがどれだけありがたいのか。

リズム考えようって推進力になってくれるのがどれだけありがたいのか。

単純に1人だと1日かかるものが2人だと12時間3人で8時間、4人で6時間で済む。

1人+3人一緒にやってくれれば、余った18時間はまた別のものに使える。

つまり大げさに言えば、それだけ負担が分散された分、俺は人生の時間を分けてもらえてる。だから、STOMP自体より良いものになれていく。

この考え方が非常に頭に残った。

人のチカラって偉大。

だから、一緒にやってくれる人の方が本当はかけがえのない大切な人たちなんだよ。

上にいれば良い、エライってわけじゃないのよ。

極論、だから上にいる人はもっとも下が動けるように考えなきゃいけない。どれだけ分散させられるかが全体としての勝負。

この人ならこういうことできるだろうなぁって見抜く勝負。

(ってことを学んだので、できたかできてなかったかはまた別の話)

そういう意味じゃ、まだまだ。

初回というのもあるけどね。人と付き合い続けるうちになにが良いかってことがわかることもあるだろうしね。

僕にとっちゃこの立場に立たなければ絶対にわからないことだったでしょう。

だからさ、ありがたいと思う分だけ「自分は~~できないんだな」ってことに気づくほうが遥かに多かった。自分のダメさに気づいたってわけ。自分のすごさを確認するためやったつもりだったのにね。(思い上がりだけど)

(まぁそれに気づけるだけそれが自分にも内包されているってことですが・・・他人は鏡だもんね。)

それは一人一人にあるんだなぁ。

(個人名出しちゃってごめんよ。)

なんか批評してるみたいだったらごめんなさい。文量とかも別に関係ないからね。

そうじゃなくてなんか他者分析みたくしたいなぁと思っただけ。俺もこんな分析されたいなーって願望(笑)

自分には「~~できない」「すごいな」と思うところ

(順番は謎)

かなこさんは、

「とりあえず」で進めていく天才。だから推進力は半端ない。ちょっと迷うところでも決めていけるから、滞るってことがほとんどない。ユーモアも◎。

しもぢさんは、

純粋に「楽しめる」心。「めっちゃ楽しいー」にどれだけ救われたかわからない。して、自然と一緒に力になってくれるところ。

のすけさんは、

頼んだら(必ず)力になってくれる(断れない!?(笑))。しかもめちゃめちゃ早くこなしてくれる。仕上げるべきものは絶対仕上げてくる責任感。

かとうさんは、

リズム感めっちゃええ。かつ周りもみながらのユーモアセンス。まじめな部分もある、周りへの影響力。誰とでも一緒にものを創れる人柄。

えまさんは、

周りのまとめ役、微調整がうまい。(わたしゃ、ざっくりしてるんで・・・(笑))自分の範囲だけじゃなく他人の力にもなれるような配慮。

あきは、

自由さ(笑)。大丈夫なんだかダメなんだかわからないけど、なんかいつも大丈夫そうなところ。気遣い優しいところ。

千りょうは、

音楽に携わっていること。リズム感めっちゃええ。あきらめない心。1年から組織がなんたるかをわかってるとこ。普通の若い子なら見切りつけて違うサークルとかに行くかもしれないのに(笑)

山りょうは、

やんちゃなとこ(いいか悪いかはまぁ別にして、俺にはないかなぁ(笑))

ちほさんは、

いつも楽しそうなとこ。筋が通って楽しそうなとこ。故意か自然かいつも周りが笑ってる。努力家、本番までしっかり仕上げてくるところ。

マミーは、

しっかりしているところ。初めて3回目くらいで暗譜をしてくるほどの努力。こまめに連絡してくれる。

ゆかりさんは、

下駄っぱーず含め本番前のストイックさ。自主練の量が半端ない。と困ったとき、大変なときに力になってくれる優しさ。

ちはやさんは、

本番まで時間があまりないのにも関わらず、その中でもしっかり役を果たしてくれる責任感。自分の位置と全体を把握する力。頭良すー。

ひとみさんは、

自分の時間をいっぱい割いてくれたこと。体力的にも頭もいっぱいになりそうなときに助けてくれたこと。タップシューズをプレゼントしてくれる人への気持ちの強さ。

ざっくりだけどこれらが、俺には「ない」ところなんだば。

じゃあ俺の「ある」ものは何なの?って思うけど、それは自問じゃ生まれない。多分それは俺が自然にできていることだから自分で意識できないこと。

上に書いてあることも本人は気づいてないことかもしれない。

んで、これだけ俺の「ない」部分を持っている人たちが集まってるわけだからそりゃ、良い団体になりますわ。

そりゃ、俺何もできてないんじゃないって思うよさ。

だから、結局はなにが自分にできたのかがさっぱりわからずに終わっていく。

こんな良い人たちと一緒にできたっていう人間力?

人間力ってなに?僕はなにをした??達成するためにひいこらしてただけだが・・・。

言葉にならないかね。

今度聞きたいなぁ。

そんなみんなに「ありがとう」と言われて僕も「ありがとう」なんだけど、「ありがとう」と言われることができたのだと思えば、俺もなにかしら人に与えられたのかなぁと思う。

本番直前にステージ脇で

「間違っても堂々としていよう。誰もわからない!だって初めてなんだもん!!」

なんて冗談交じりで言っているときも最高で

最終練習してたら、デッキブラシがポキっと逝ってしまったときも

「本番で折れてたらかっこよかったのにー!!」と本気で思うメンバーが最高で

「その余裕がすげぇ」っと放研さんに言われたことも最高だった。

みんな幸せそうなんだよなぁ。

俺が思ってる以上に多分みんな幸せな気がする。

終わった後の打ち上げは、本当に神。

有り得ないくらいの楽しさでした。分けてあげたいくらいだ。

どこの団体にも16馬身差つけてぶっちぎりの優勝できるくらい楽しい場。本当に。

14人全員が同じ話をして同じ場で盛り上がってるんだぜ。

本当に有り得ない。俺はニヤけてるだけ。(笑)この感じも一番好き。泣いてるどころの騒ぎじゃない。泣く前に多幸感。

最近思うことなんだが、例えば

こんな楽しい空間を共有できること、「ありがとう」と言い合えること、下駄っぱーずで言えば、振りを創ってそれをみんなが踊ること、たまにメンバーが振りを気に入ってくれること、一生懸命練習して全員が同じ舞台に立つこと、

それをみんなでやっているから

僕は【生きている】ということを非常に感じる。

人は人とのつながりの中で生きている。

あなたがいなかったら俺は生きていないのと一緒。

だから、こうやって場とか共有とかすることで俺は【生きている実感】がする。

今までは表現の場で自分が精一杯に踊ったり動いたりすることで俺が生きていると感じてたんだけど、今回で人と一緒にいるから相手を確認できて自分の位置が確認できるんだなぁと実感。

と思った。今の俺は紛れもなく【生きて】います。

そうしたら、こんなに幸せなことはないでしょう。自分の【生】をこんなに高らかに叫べるなんて。それが生きている僕らの使命。

生きているうちに生きていることを叫び続けましょう。

生きていることが他人との繋がりの証明。

だからいっつも他人にプレゼントのできる自分でありたい。

それが昔に書いた最大級のエゴイストなのかもなぁ。

そして、他人との繋がりが色濃くでるのが一緒にモノを創るという行為なのかも知れない。

だから好きなのかなぁ、生きていられるから。

本当にまとまらない文章だな・・・。時間かけすぎるのも良くないよね。

いいや、俺だけわかってれば良しとしよう。

んで、「最後」って部分はあんまり琴線に触れない。

なんでかっていっつも最後だと思ってるから。

全ては一回性しかないといつも思ってるから。本当卒業式とかでも泣いたことねぇ。

その後一人で走っていこうって決めたときの心の奮えに自分で感動して泣くんだけどね。

よく「コレで引退で、本当にいいものにしようって思ってるんで・・・」とか言う人いるけど、それは甘えな気がして・・・。

別に最後でも、最後じゃなくても最高のものを創るのが当たり前の使命でしょ。

最後だからがんばったとでも言いたいんかい。そんなのは抜きだなぁ。

だから、苦労でも泣けない。

別にやれって強制されてるわけでもないから。

いやー、本当に何言いたいのかわかんなくなってきた。(とかってこういうこと書くと感動が薄くなるよね(笑))

まとめますと

STOMP!やってみて、結局俺はなんだかよくわからないから教えてください。

ってことと、

やっぱり下駄もSTOMPも創るって立場に立ててそれをみんな一緒にできて(特にSTOMPは全員で創ったんじゃないかなー)、僕はやっぱり【生きている】という実感を得た

ということと、

この早稲田祭までどうだったかわからないけど、これからも人になにかを渡せる(楽しませる)人でありたいなと思った。気胸になったあのときの自分の悔しさを1/100くらい晴らした気分。「ありがとう」という言葉をもらえて幸せだなー。

ということかなぁ。

本当にそれぞれやってきたこと、人でストーリーがある。

STOMP!でも下駄っぱーずでも個々人でも、もっともっと伝えきれないことはたくさんある。

でも、一応俺が全体としてoutputしたいのはこの程度かなぁ。

個々人の話を俺も聞きたいし、早稲田祭じゃなくても君のストーリーはどんなんだったか知りたい。

俺の細かい話が聞きたければするよ。時系列に沿って(笑)

語れるものを一つ背負えたかな。

とはいえ、まだまだ物語は続くんで。

STOMPじゃなくても下駄じゃなくても就活でなくても物語は続いていくんで。

と同時に

STOMPでも下駄でも就活でも物語は続いていくんで。

なんでもない日常に意味をつけていく。

なんでもない人生に意味をプレゼント。

渡しているのにプレゼントされているのは君じゃなくて僕のほう。

人生に手作り感が出てきました。

苦労より楽しさを伝いとこう!まつりだから!!!(友人からもらった言葉)