最近、考え方が変わったこと。
3年になってから変わったことが多いと思う。
まずstompというものを自分からやりだそうとしたことによって
人が手伝ってくれることによるその力の大きさを実感。
単純に1人手伝ってくれたら2倍、2人だったら3倍。
それって本当にありがたい。
肌で1人にできることには限界があることに気づく。
集団って、こんな風に言いだしっぺからほかの人に移り火して、その集団が一人歩きするようになったら成功だと思う。
今年度中はしっかり面倒見ますけど。
じゃないとまだしっかり火は渡せていないから。
いつでも消えちゃうような火だ。この火さえも自家燃焼してくれたらもう灯す必要はなくなる。それが世代交代というんだろう。
っと、人の力のありがたさが腹に落ちました。
だから、感謝って大事なんです。
それに、加えて言えば「感謝」って潤滑油であり燃料なんだ。
誰かが何かをやってくれたときに感謝を述べるか述べないかって天と地くらい月とすっぽんくらい違いがあると思う。
もちろん、感謝を強要するわけじゃないけど、感謝されたいからやってるわけじゃないけど、それでも「ありがとう」って言われたらその人、自分は嬉しくなるでしょう。
またやってもいいかなって思えるでしょう。損得勘定じゃなくて。
だから、ありがとうっていつでも言える人ってその周りが助けてくれることが多いと思う。(自分がそうなれてるかはまだ疑問だけど)
極端に言えば、嬉しく思われたらそれでいいんです。
自分が本当にありがたいと感じていなくても、ありがとうっていうとそれだけで相手を救ってあげられます。相手が嬉しくなります。
嬉しくなったらまた助けてくれます。そして自分も助けてあげればいいんです。そういう循環が生まれたらもう良いことしか起きません。
んで、気胸になったときの話
前にも書いたから、詳しくは省略するけど
気胸を通して死を見つめたとき
・自分はこの世界で何も残せていないということに気づく。
その情けなさといったらもうひどい。
今まで、何か大きいことやってやるとか考えてた自分がアホみたいに思えてくる。俺は誰かの何かになれたのか?そんなこと考えても答えは出ず。
じゃあ、何かを残すってどういうことなんだろう。
大きなことをやること?組織を作ること?起業すること?コンテンツを作ること?
もちろん、それでより多くの人を笑顔にできたり、幸せにできたら、自分の人生良かったー!!って思えるだろう。
でも、それよりももっと身近な考え方としては、自分の周りで付き合えてる人を楽しませる(幸せにする)ってことだ。
今まで、自分が満足して楽しくて、そしたらまぁ相手も楽しいだろうと思って、なんとなく自分は相手のことも考えてるんじゃないかって思ってたけど、そんなのただの自己満足だ、思い込みだと思った。
そんなんで死んだら悲しいぜぇ、ほんとに。ただのなんとなく楽しかったヤツじゃん。わがままじゃん。
だから、もう前に書いた「いつ死んでもいい」なんて全く思わない、たとえ自分が今までやりたいこと全部やってきているとしても。まだ死にたくない。まだ何も残してない。だれにも渡してない。まだ幸せにできる人はたくさん残ってる。だから死にたくない。生きていかなくちゃならない。生きていたいのだ。
だから、本当に相手の立場に立てるようになりたいなと思った。
どんだけ気をつけても不可避なところもあるけど、それでも相手を想えたら相手の中で俺は存在していけるかもしれない。
そうしたら、ほとんどのことに腹を立てなくなった。
ちゃんと話を聞いたら、納得できることは多い。
そういう性格の人なんだと思えば、まるごとその人を理解できる。
性格、直してよ!って思う前に、じゃあこういう考えの人がもっとうまく力を発揮してくれるのはどうしたらいいんだろうって考えたほうがよっぽど効率的だし。そのほうが双方にとって気持ちがいいことだし。
だから、最近はコイツだめだなーって思うことが少なくなりました。
(それでも軽蔑することがないといったら嘘になる)
本当に、これ2つが自分の中の変化だなと思う。
成長って言葉は使わない。
成長かどうかわからないから。
ただわかることは、変化したってことだけ。
成長はプラスなニュアンスを持たしているけど、その先になにがあるのか考えたら、別に成長なんてしなくていい。
成長したいとみんなは言うけど、成長したら何があるの?
だから別に成長してなくともまるっとその人認められて、その人がうまく活動できていればそれはそれで十分だと思う。
成長を強迫されたくないし。
人生の目標なんかに強迫されたくないし。
(まぁたまに考えるけど)
日々いろんなことを感じて生きていきな。
そして相手と考えとかシンクロできたら楽しいじゃん!
それでいいんだよ。