mixiは身近だからなんでも書いちゃうけど、こっちはなんだか不特定多数名への発信だから、内容は考えます。
今日がなんだったー、コレ教えてください、的なことをここで言っても意味がないような気がするので。
ここは俺の内面を感じたことをできるだけ外から(僕を知らない人でも)見てもわかりやすいように論理性を考えたいと思いまっす。
さ、ムダにそんなこと言ってかっこつけようとしただけですが・・・。
「問題」について
今現在、様々な問題がある。
地球規模で、国規模で、ご近所規模で、個人規模で・・・・。
貧困とか戦争とか病気とか経済危機とか摩擦とか人間関係とか勉強とか将来とかダイエットとか・・・。
かつて少年サンデーで連載されていた消防士の漫画
「め組の大吾」でこのような一説がある。
「本当にこの世から災害がなくなってしまったら、俺らの存在価値がなくなるんじゃないか。」
災害なんてなくなればいいのに、でも俺らはそこでしか生きることができない、人の不幸の中で生きているんだ。
そんな話でした。
さて、問題があるというのは問題なんでしょうか。
うーん、ちょっと違うな。言いたいことは、問題意識があるうちはそれは問題である。ってこと。
例えば、日本は平和ボケしてるとか言いますけど。
なんで平和ボケできるかと言えば、危険について考えなくて良いからです。
そのことを忘れている。そのときが一番それに満たされた状況ではないでしょうか。
空気吸うことにみんな必死じゃないでしょ?
それがアタリマエだから。
空気を吸うことと同じように日本は平和がアタリマエになってる。
災害のことなんて考えなくていい社会(備えは必要ですけど)
平和について考えなくていい社会(維持は必要ですけど)
だから、平和なんて言葉があんまり使われなくなったらきっと平和っていえるんだろうなー。
同じく、問題のすべてが消え去ったら問題はなくなっちゃうんだなー。(意識されなくなっちゃうんだなー)
ここで大吾と同じように・・・
大吾に限らず、問題がなくなっちゃったら結局みんな生きていかれないんじゃない?
問題があるからこそ、ここはこうしようって思えて働けるんじゃない?
身近な話をすれば。汚くなった部屋があるから掃除しようって思うんじゃない?
世の中に問題(広義的にこうしたいという「欲求」も含まれるかも)があるからこそ、需要と供給がうまれるんすよね。だから仕事になる。
だからさ、問題それ自体があるだけで、ある人が動く理由になって、それが消えたらやっぱりだめなんだよ。(実際、すべて消える(解決)というのは現実的ではないけど)
実は問題は解決しようとするものではなくて、
「問題っていうのは解決するためにある」っていうこと自体が問題の価値なんじゃない?
わかるかな・・・?
大吾に例えると
災害がなくなるのが一番だけど、そうしたら消防士は必要なくなる。
企画で人を幸せにしたいと願うけど、みんな元から笑顔だったらそんなの必要なくなる。
だとしたら、問題ってなに?
悪いもの?
あるからこそ、素晴らしいんじゃない。
なんか全て飲み込んじゃいそう。(笑)
地球規模で問題があるけどさ、その「おかげ」でなにか役に立つと思われる人たちがいるわけで、解決しようとする人たちがいるわけで。
大吾と何も変わらない、問題のおかげで生きられてる人かもしんねーぞ。
実際、問題なくなっちまったら何をするんだい?
それがあるから動けるんでしょう。
うーん、問題はあるから良いんですよねー。なかったら何にも動けない気がするんだよねー。(結論)
僕らは日々何かを解決しようとしている。
でも、解決が本当のgoalではなくて、解決に向かえていることが楽しいのかもしれない。