読む本は補給したのだけど、車中今日もテーマに沿って書きたいと思う。
人間というもの、というか社会だ。
世界のはじめ
なーんにもなかった混沌、カオスであったと思う。正確には「認識ができなかった」世界。
そこで世界の整理が始まった。
それを可能にした道具は
【言葉】であり、【名前】だ。
僕らはものを区別して名前をつけて認識した。名前は相対的につけられる。(世の中にブタしかいなかったらブタという言葉は生まれない)
ちなみに、
ヘレン・ケラーは、先天性の病気で二重苦(目と耳)の中でこの法則を見つけた。すべてには【名前】がつくことを。(僕らは生まれてこのかた、どれほど目と耳に頼っているんだろうか…)
そんな始まりから世界は今も回ってる。こんな社会になっているのは人間のチカラが大きい。文明ってやつかな。
でも逆に考えれば…
この社会は所詮人が作ったものなのだ。
人が作ったものって完璧じゃない。いわゆる、イイ加減が存在する。
そう、人間は完璧じゃない。それは面白い所だ。
先日学館地下2階で作業している所にある有名どこのサークルが大人数集まってきた。
作業するのは数人なのに。超非効率だ。
僕の知ってる人はあれは地下2階の名物だといった。
僕は嬉しくなった。
人間完璧じゃないなぁって。そして俺が戦っていける余地があると。
人間でもね、完璧すぎる女の子(男の子)を見かけると僕はダメなところを見つけようとする。それで自分を安心させようとする。親しみを見つけたいんだね。
つまり何が言いたいかと言うと…
言いたいこと
・人間は欠点があったほうがかわいい。そうすると欠点はプラスに働く。(結果欠点はなくなっている矛盾は気にせずに。)ちょっと抜けている友達のほうが仲良くなりやすい。
・誰にでも何にでも社会でもシステムでも人がつくっている(やっている)限りはイイ加減な部分がある。そこは僕らでも突いてゆける。自分はダメだと諦めるのは早い。
ということ。
諦めるには早すぎる。
君には君にしかできないことがある。なにもかも僕と一緒じゃないのだから。