もし満足に食べられないとき、あるいはその時代、
満足に食べることが向上の方向性だし、それから言えば、栄養の良いもの、美味しいもの、A5ランクの肉などなど、そういう方向付けで上というか進む方向はわかることができる。
それは満足に食べられていない状態からするとわかりやすい方向なのだけど、
現在、この時代で、まぁ普通に食べるくらいであれば問題はないよ、という人が多くいる時代、じゃあ果たして毎日A5ランクの肉を食べるとか、高級フレンチを食べるとかそういうことにそこまで興味を持っている人って少なくなってきているような感覚がある。
なんというか足りないものをまぁ満足行くラインで満たされたらそれ以上先は、なんかそこまで求めているものじゃないんだよな〜って感覚に立ち入っているのではなかろうかと推測している。
お金だってそうかもしれない。
だから今の時代でも単純に、お金がほしい、出世したいみたいな欲を持ち続けている人は方向性がラクでいいと思う。その方法の難しさは別として、方向付けが難しくはない。
ってなったとき、もはや出世やお金を稼ぐことはもはや、趣味というか、選択肢のひとつにしかならないのではないかな〜、全員が共通して見る夢ではなくなってきているのかな〜と思った。(求めていないのだから年収が下がるのは当たり前ではある、と書きながら思った。年収何百万時代だと言われる前、おそらく今よりも求めていたのだから。)
ことを思うとさ、
じゃあ学生時代、勉強が例えば出世に置き換えられるとして、勉強のできるできないは「選択肢」なのか?と考えた。
誰しもに良い成績を求めるのは果たして正なのか?
選択肢なのか?
まぁ与えられるものとしては平等にあるべきだとは思うけど・・・。
もちろんいわゆる勉強ができなくても、ちがう才能があることもある。
(ただ、特に中高とかの勉強は勉強というよりも、攻略本があればだいたい攻略できるようなことをやるだけな感じがあるけど。。。。それすら勉強だと思って拒否反応がでるならそれはもう選択肢になりうるのかな。)
ただ、どこかにも書いてあったように、ただの選択肢となったからといって今までのスタンダードであった、出世とかお金とかに対して、別のもので満足とか才能を発揮しようと思うこと、それは簡単なようで一番むずかしいことなんだよね。
定義が0からだし、そのノウハウもない。
自分が何で幸せを感じられるのか確信もない。
だからみんなが見るような夢、正確に言えば見ても不思議じゃない夢を追ったほうが簡単ではあると思う。冒頭に言ったようにそれと、自分の夢とかやりたいことが重なっている人はそういう意味で幸せだと思う。
あるいは、騙しながらできちゃうこと。
んで、だませない人とか、自分を騙さなくていいんじゃん、とかって思い出す人が最近顕在化してきている。
で、それはマーケットとして小さくない。
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昨日、宇多田ヒカルさんのプロフェッショナル再放送を見た。
音楽が自分でコントロールできること、それがなかったら絶望しかなかった、と言っていた。
ここで言葉にはできそうにないが、つまり宇多田さんも、出世やお金を稼ぐとかそういう次元で生きていないのだと思った。
自分が本当に進みたい価値観を含めた方向性×そのスキル能力×時代、というものの波長が合わなければ、時代は多分つかめないだろう。
時代をつかもうだなんて思ってないけど、前者2つは見極めたいし、高めたい。
音楽はいい。持ち運べて、感情に訴えることができて、人と一緒に聴くこともできて、映像作品よりも手軽で、自分で完結できうることで。
最後にプロフェッショナルとはという質問があるのですが、あれは正解を、べき論をきいているわけでもなく、あなたがありたいものとか、大切にしていることとか、何に沿って生きてきたかと問うているわけで。あぁこの人の世界の見方や価値観がそこにあるんだなぁと思うだけになった。
そう思った時、自分の中で全ての人が並列に、フラットに、並んだのでありました。
あとはもう好きずきだから。
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ただの選択肢となりえた、それをまだ追うのか。
みんなが追っているから追うのか。
それはあなたの喜びにつながるのか。
なーんて考えないほうがラクなのはわかっちゃいますけど。考えたくなっちゃうんですよねー。